「中途半端の代名詞」が人生と情熱を懸けて追求できるものに出会う心構え
三国志に学んだ人間力の高め方を伝えている玄子(げんし)です。
家族や友達から「中途半端」呼ばわりされたのが原因で、いつの間にか自分でも、自分のことを「中途半端な人間なんだな」って思い込んでいませんか?
でも「中途半端呼ばわりされたくない」って理由で続けても意味はあるのでしょうか?
自分には合わない、続けたくないって判断するのは自分自身です。
私自身も熱しやすく冷めやすいのですが、そんな私でも人生と情熱を懸けずには居られなくなるほどの出会いがありました。
一つのことをやり抜く実践も経験も自信もなかった私はその当時、家族にこんな風に呼ばれていましたー
目次
何をやっても中途半端!の代名詞
三国志に出会うまでの私はこれと言った取り柄も、特技も何もなく趣味は読書。
といっても読書って読む本は変わるから、一つの分野に特化して興味があったわけでもありませんでした。
そんな私が三国志と出会ったのは中学一年、13歳の時でした。
私は秋田市に生まれましたが、父の仕事の関係で小学、中学時代は山形県内を転々としていました。
「慣れてきた頃に、さようなら〜」を繰り返す生活を経て、人付き合いが得意になるのかと思いきや、離れる間際にコロッと変わる周りの人の態度に嫌気がさして、かなりの人見知りになっていました。
そのくせに、家族の前では内弁慶。
3つ上の兄はとても優秀で、何をやっても私はオマケ。
習い事でも私の好きなことよりも兄がやりたいことに合わせられてオマケ的に行かされましたが、好きじゃないから続かず、何をやっても中途半端!の代名詞になっていたのです。
何に付けても私は引き立て役でしたが、山形市への転校で人生は益々、暗転します。
何をやっても中途半端!の代名詞だった私は「ワガママ」というレッテルを貼られていましたが、何をやっても優秀で繊細な兄は、転校先の中学校が合わず登校拒否。
本来なら心配するところですが、自分の弱さをしっかりと吐き出せて親に心配してもらって、登校拒否出来る兄が羨ましいなって感じていました。
そうなると、益々、家族の前では明るく演じなければいけません。
よく、下の子はワガママとか要領が良い、ずるいって言われるけど、こう見えて健気に家庭の輪を考えているのです!
って、思いませんか!?全国の下の子!!!
それでも兄はやっぱり優秀だったので、生まれ故郷である秋田の進学校に合格し祖父母の家へ下宿。
私はそのまま、兄を登校拒否に追い込んだ中学校へ入学。
そしてー
登校拒否してぇええええええええ!!!
こんな学校いやだぁあああああああああ!!!
この学校、ヤバいんじゃない?????
兄を登校拒否させた校風を最初の1ヶ月で悟りました。
というのも、僅か一年しかいなかった小学校のクラスメートが殆どいない、1年6組に振り分けられた私は、自然と一人になってしまい、あっという間にイジメの標的にされてしまったのです!!!
「学校行きたくない」って言いたかったけど、、、
けど!!!
登校拒否という奥義は兄が既に使ってしまったし、この当時、両親の一番の心配事は、祖父母の元で暮らす兄のこと。
だったら余計に、心配をかけるわけにはいきません。
私が耐えればそれで済む、、、
、、、でも、ちょっと耐えられないかも、、、
そんなある日。
休みで帰省した兄が三冊の本を持ってきたので、つい、気になって本の扉を開けたが最後!?
私は還らぬ人になったのです!!!!!
「三国志?」
当時十三歳だった私は「読書」という有り触れた趣味以外、これと言って好きなことも特にありませんでした。
特技は本当に何もなく、成績も見た目もパッとしない!
それなのに、いじめの標的にされ無駄に目立っていました。
生きることも、死ぬことも許されない日々。
天地人、だけではなく神様さえも敵となっては
「みんな仲良く」
「命を大切に」
詭弁の刃を私の首筋に当てるだけ。
具体的な救助策も解決策も誰一人、指し示してはくれませんでした。
頼れる人も、心の支えとなる人もいない、十三年間の何もない人生だけが全て。
耐えても、耐えても、誰も助けてくれない現実。
助けを求めたくても、届かない、声。
家庭で教えてくれないことを教えてくれるのが学校。
だというのなら、当時の同級生と担任教師は、充分に学校としての責務を果たしたと言えるのかも〜。
そんなある日、運命の出会いは突然、あっさりとやってきました。
「何、これ?」
後にも先にもこの時だけでした。
デジャブでも、前世の記憶でもない。
ましてや文字を読んで想像力を働かせたからでもありませんでした。
歴史や中国に何の興味も関心もない私。
千八百年も昔の中国がどんな風だったのか想像できるはずがありません。
が!確かに奇跡に似たその現象は起きたのです。
文字が文字ではなくなり、目の前で三国志の世界が繰り広げられていくので、本を読んでいる感覚はゼロ!
土埃、固唾を呑む音までもが、生々しい感覚となって降りかかった不思議なあの光景は、今でも鮮明に覚えています。
『三国志』は戦乱を舞台とした歴史物語ですが、私は三国志の英雄たちに人間としての温かさと、何よりもー
「会うべき人たちにやっと再会できた!」
出会いというよりも、再会を果たせた!
という喜びを強く感じていました。
時代も国も違うけど、私の心と心臓を動かし続けてくれたのは、三國志の英雄たちでした。
言うまでもなく、私の生場所(いばしょ)は千八百年前の中国になりました。
担任教師やクラスメートと同じ空間にいながら、異なる次元と時空で生きられるようになると、心と言葉の通じない彼らの言動は気にならなくなりました。
こうして、13歳だった私は、タイムマシンを使わずに三国志の時代に行ったまま、今日まで還らぬ人となったのです。
故に、三国志年齢は永遠の13歳♪
何をやっても中途半端!の代名詞だったのに、、、。
飽きることなく四半世紀以上、三国志の英雄たちと生きていられるって、すっごい幸せです!!!
大好きな三国志の英雄たちに学んだことは、追々ゆるゆるとお届けしていきますが、三国志って聞いたことがあるけどよく分からないって方、熱烈歓迎!!!
ちなみに私が三国志の英雄に一番最初に学んだことは
「生き続けること」ほど難しく、大事なことはないってことでした。
※このブログは三国演義と三国志の境界線を争ったり、英雄たちの揚げ足取りをするような場ではありませんので、予めご理解くださいませ!
とはいえ!当然、三国志と再会したからと言って、イジメが終わることはなく
「なんか、、、もう良いかなぁ〜。
三国志の英雄に会いに逝こうかなぁ」
って思い詰めたこともありましたが
この時に「何が何でも生き続けるべき」現実と、必要性を突きつけられました。
誰に?かと言えば
三国志の英雄たちに!!!
スピリチュアルでも、史実追及でもない!
私にとっての三国志英雄と生きる現実はこれ!!
四半世紀以上も三国志への情熱を追求できる秘訣もこれ!
これって何?これってどれ?って気になったら次回も宜しくです!
今日のポイント
★中途半端!の代名詞だろうが、人生経験が浅かろうが、取り柄がなかろうが、人生と情熱を懸けて好きになれることとの出会いは、年齢や性別、実績不問である日突然やってくる!
★その時に、運命の出会いを見過ごさないためにも「!!」って感じるものがあったら、ネット検索でマイナス面をあら探しをしない!とにかく、とことん一人でその世界を楽しんでみる!!!
ってことで♪本日はここまでm(_ _)mご覧頂きありがとうございました〜!
玄子(げんし)