玄子(げんし)のプロフィール

はじめまして。諸葛孔明先生を人生の師と仰いでいる玄子(げんし)です。

諸葛孔明先生の人生や文霊(あやだま)に学んだことを私なりの解釈で発信しています。

ここでは、私がどんな人間なのか、どんな人生を歩んできたのか
そこはかとなくお伝えします。

私の今日までの生い立ち。気が向いたらご覧くださいませ〜!

目次

三国志との再会

 

私は中学一年の時に、クラスメートと担任教師から、いじめを受けていました。

毎日「生きていてもいいのかな」と自問自答せざるを得ない日々を送っていました。

どんなにSOSを出しても誰も気付いてくれませんでした。

気付いても気付かないふりをしていただけなのかもしれませんが、どんなに頑張っても、勇気を出しても事態は悪化する一方でした。

そんな時に出会ったのが『三国志』でした。


今から1800年位前の中国の歴史物語ですが、この『三国志』を読んだ瞬間、私の魂は三国志の世界へ行ったきり、還らぬ人となったのでした(笑)

というのも、戦乱物語かと思いきや、三国志の英雄たちはクラスメートや担任教師にはない、

同じ一人の人間としての心の暖かさ、命を大事にすることを教えてくれただけではなく、生きる希望の光をも私に与えてくれたのでした!

生きていれば人生、何とかなる、と。

運命の人は同じ時代に人とは限らないんですよね!

三国志の英雄たちとは出会ったというよりも、再会を果たした!

という感覚が強く、好きとか、夢中になっていると意識する暇もありませんでした。

三度の飯より三国志!

そんな私の大きな転機は高校選び。

偏差値や進学率よりも、中国への修学旅行を実施している学校があったので、それだけを目当てに受験し、入学。

そして念願の修学旅行で三国志の母国へ足を踏み入れた私は、中国大陸に電光石火の一目惚れ。

「この国で生活する!」と決意。

しかし!日本の学校では、就職を前提とした学びしか得られないと知った高校3年の時。

「この世の中の大学は日本だけではない!」という現実に気付いた私は高校卒業後単身、三国志の聖地・成都にある四川大学に6年間三国志留学をしました。

留学をした想いや動機は沢山ありますが、一つだけ挙げるならば、それは

私が人生の師として仰ぐ諸葛孔明先生の存在の大きさ。

現地の文化に少しでも多く学んで近づきたい、と思った私は孔明先生が愛好していた古琴、という伝統楽器を学びました。

すると!今度は古琴が縁となって道士さんと知り合い意気投合し

「玄子(げんし)」という字(あざな)をいただきました!

国籍、老若男女、時代を超えて多くの縁、人の和に恵まれた成都での6年間は「生きていて良かった」と思わせてくれる至福の時でした。

もし中学一年のあの時、三国志と再会していなければ、私は今日まで生き続けることは出来ませんでした。

また、好きというだけで、行動を起こすことなく終わっていたら、留学をして人生の至福を味わうことはありませんでした。

帰国後、この6年間の日々を執筆した作品は『三國志游學記』と題して2006年に出版され

留学を終えてから2年後、再び中国へ渡り江蘇省の学校で日本語を教えました。

同じく三国志が好きでも、何かが違う!

帰国後はその経験を生かしてカルチャースクールで「三国志文化教室」の講師を務めさせていただいたりと、細やかながらも三国志普及活動に励んでいました。

しかし、リアルやインターネットを介して、三国志が好きな人と交流をしていくうちに、私の中で「何かが違う」という違和感が芽生え始めたのもこの頃からでした。

それは、同じく三国志が好きでも、求めているものの根本的な違いからくるもの、でした。

私にとって、三国志の英雄たちは、学ぶことが尽きない存在でしたが、そんな私に対して、訊いてもいない虚実追及議論を一方的に押し付けてくる人たちの言葉に、心が痛みました。

もちろん、虚実追及議論が好きな人同士盛り上がるのは個人の自由。

ですが、それが嫌いで望んでいない人にまで、一方的、強圧的に価値観を押し付けるのは違うのではないかと、反発を覚えるようになりました。

なぜなら、私にとって三国志の英雄たちは命と人生を救ってくれた恩人だったから……。

私が大事にしたいのは、敬意。尊敬愛。

後世の人間がどう評価しているか、ではなく同じ一人の人間として学ぶことは何か?

そんな迷える私を救ってくれたのはやはり、人生の師ー
慕先賢(先賢を慕って学ぶ)という、諸葛孔明先生の教えでした。

今までも議論の対象としてではなく、同じ一人の人間として、学ぶ対象として三国志に親しんできた私にとっては、どんな権威ある著名人の言葉よりも「慕先賢」という教えは腑に落ちました。

後に、この学び方は私淑(ししゅく)という言葉で、孟子によって使われていたことを知りました。

私淑であれば、誰に、何を、どのように学ぼうが、精神の自由。

誰にも遠慮はいりません!

情熱が枯渇しない理由

孟子のお墨付きによる精神の自由を手に入れた私は、大胆にも孔明先生が遺した兵法書を現代の生活で活用するなら?

という視点で解釈し、自分で書いた作品を製本、販売してみました。

すると、思った以上に好評を得て、遠くヨーロッパに住んでいる三国志ファンの人も購入してくれ

「座右の書です」という嬉しい声までいただけました。

また、不思議なことに私自身は、大好きな三国志に情熱を懸けているだけなのですが、そんな私の生き方に対して

「励まされる」「私も頑張れる」「情熱という大事なことを思い出した」「勇気をもらえた」「私も人生を諦めません!」といった熱い言葉をいただいたり、私の三国志愛を知った中国の人に

「日本人の悪いイメージが一変した!」「その情熱、中国人でも無理!」

と言われることもあり、嬉しい限りです。

ちなみに何が遭っても三国志への情熱が尽きない理由はたった一つ。

 

三国志に人間力を学んでいるから!!

学ぶことが尽きないから、情熱も尽きないのです。

大好きな三国志、諸葛孔明先生への情熱だけで今日まで生きていますが、私自身もまだまだ、死ぬまで現役で学び続けますので、このブログでも学んだことや気付きをお伝えしていきます!

縁が合ったら宜しくお願いします。

この記事ではアッサリバージョンをお届けしましたが

私がどんな風に三国志で人生を変えたのか?

私の人生幹(じんせいかん)を記したエッセイ

師せる孔明先生、生ける屍(わたし)を甦らす

もご覧頂ければ嬉しいです。

出版した作品

*三國志游學記

*心譯心書

 

*出師表の心志盡(しんじつ)

受賞作品

2020年

忘られない中国滞在エピソード
一等賞受賞

応募した動機は、経済的なことや、ここ100年くらいのこと、
或いはこの1年間の日中関係や対立ばかりが注目される中で、
魂ドカン!の三国志愛、孔明先生への尊敬愛はどこまで入り込めるか?
って打診でした。
日本と中国、それだけじゃないでしょ?
それだけじゃ・・・ないんです!
これが証拠じゃあっって勢いで応募しました。
最終選考まで残れば中国大使の人が読むと言うので、
そこまで行けたらいいなって思いながら応募しました。
目標である、中国大使の人に読んでもらうことができ
一等賞にも選ばれたことが何より嬉しかったです。
中国大使も認めずにはいられなかった!?
孔明先生への尊敬愛だけを命に
今日も生きている玄子(げんし)です。
時空を超えて孔明先生と中国文化を楽しみながら
日中友好・人の和を築いてくれる仲間募集〜
縁と価値観が合ったらよろしくお願いします。
玄子(げんし)