好きって想いだけではどうにもならない現実を好きって想いで変える!

三国志に学んだ人間力の高め方を伝えている玄子(げんし)です。

好きって想いだけではどうにもならない現実にぶつかったら、どうしますか?

諦めますか?

違う道を探しますか?

それとも、新たな挑戦の目標にしますか?

ともあれ、その現実は自分にとって何を意味するのか、先ずはそこから明確にしてみましょう!

目次

今死んでも意味がないって現実

イジメに耐えながらも、私がつい考えてしまうのは「死んだら、三國志の英雄に会えるかな?」という極楽浄土を求める道でした。

そんなある日、日本に初めて実写版の三国志作品が上陸。

日本語のタイトルは『諸葛孔明』

この作品は三国志の英雄の一人で、私が人生の師と仰いでいる諸葛孔明先生を主人公にした作品。

1985年に中国大陸で作成されましたが、あの陳舜臣さんも大絶賛した三国志作品です。

三国志を好きな私が初めて、本場中国の作品に触れて感じたのは、大きな感動〜!

ではなく、激しい苛立ちでした!

 

その理由はたった一つ。

何で、私は大好きな三国志の英雄が話している言葉を聞き取れないの!?

今、死んだらどうなる?

それまで中国語を勉強したこともなく、観たことのある映画と言えばジャッキーチェンの映画だけ。

しかも、ジャッキーチェンが話すのは広東語だから、中国語(北京語)を聴いたのはこの時が初めて。

なので、当然中国語を分かるはずもないのですが

何で字幕がないと意味が一つも分からないの!?

大好きな三国志の英雄たちが話している言葉を、一言も聞き取れずに字幕を頼る自分へのイライラは、感動と共に、頂点に達しました。

そして、辿り着いた答えは

今、死んでも中国語が分からない私が三国志の英雄たちに会えるはずがない!
会えたとしても、話が全然出来ない!!!!

ということは、

今死んでもあの世で楽しいこと何もない!

せめて中国語を話せるようにならないと!!!

今死んでも、門前払い

中国語を話せるようにならないと死んでも意味がない!

という現実と共に、

諸葛孔明先生の生き方に魂が熱くなった私は、さらに重大なことに気がつきました。

それはー

今死んでも、孔明先生が会ってくれるような人間力を備えていない自分自身の現実!!!

あの劉玄德殿でさえ三顧の礼を尽くして、やっと会えたのに、私は、、、、何!?

今のままでは三万遍足を運んでも、門前払いされて終わり。

早い話が、、、

死んでいる場合じゃあござらん!!!

という結論に達しました。

死ぬ時は、孔明先生が会ってくれるような人間になれた時。

自分の中でその結論が出た途端、一生続くわけではない生き地獄に付き合っている暇はなくなりました。

クラスメートが将来の夢を考えている時に、私はこの世を旅立つ時の理想の自分をイメージしていました。

そんな13歳の時点での目標はこれ!

*ドラマ『諸葛孔明』を字幕なしで鑑賞できるようになっている

*日本語並みに中国語を話せるようになっている

*孔明先生が会ってくれるような人間になっている

死して後已む、ではなく、死んでからが本番!!!

こうして、何が何でも生き抜くことを決意しましたが、そんな決断を快く思わない担任教師が私に向けた言刃とは、現代の人間だけが全てではないという現実でした。

夢破れても三国志あり!

幼少期からその日まで、私には「獣医になりたい」という夢がありました。

それなのに、この日の二者面談で「将来の夢」を担任教師に訊かれた時、相手は言葉も心も通じない人間だということを忘れていました。

夢を語ることにワクワクを感じていた私は、大人である担任教師に応援して欲しかったのかも知れません。

「将来の夢は?」と事務的に聞かれただけだったのに、私は目を輝かせて夢を語ってしまったのです。

「獣医になることです!」と。

それに対する担任の答えが

「だったら、もっと勉強しろ」とか

「今の成績では無理」とか

「理数系、全然ダメなのに」というような言葉だったら、まだ、許容の範囲内でした。

 

が、担任が笑いながら放った一言は、今でも忘れることは出来ません。

それは

「豚が豚の世話をしちゃ可笑しいだろう」

ーえ?

耳を疑う前に、砕かれた夢の音が未来を塞ぎ、心と精神が真っ二つに裂けました。

当時、四十路前だった担任にとっては、意味のない、くだらない、心ない冗談のつもりだったのかも知れません。

でも、当時十三歳だった私にとって、その言葉は、それまでの私の存在価値さえも木っ端微塵に破壊したのでした。

こうして獣医になる夢もこの時のこの一言で、瞬時にして、終わりました。

たったそれだけで?って思われるかも知れませんが、それくらいの破壊力があったのです。

その挙げ句、担任は後日、通知表に書いてきました。

「獣医になりたければ、人間という生き物をもっと好きになりましょう」と。

あまりにも貴重で有り難い先生様のご意見でしたが、

「獣医?誰がなるの?」

他人事として冷ややかに受け流しました。

そして、それと同時に怒りを通り越して、人間なんてくだらない生き物だ!と担任と同じ人間であることに嫌悪感すら覚えてしまいました。

それでも、、、

夢と希望、そして命は絶対に捨てるな!

そんな私が横道に逸れることなく、命を絶つことなく今日、こうしてお目にかかれるのは

大好きな三国志の英雄たちのおかげ!!!

彼らが命をかけるのは大事な人、守るべき人たちのため。

周りの人が嫌いだから、とか、この状況から逃げたいからという理由で生きるのを諦めることはありませんでした。

特に劉玄德という方は、忍耐の鬼!

地道に頑張ってやっと手に入れた居場所や地位を理不尽に奪われ、流浪生活を強いられても

龍が沼の淵に潜むのは、何の為?後に時を得て天に昇らんが為。時には恥を忍ぶこともあろう(横山三国志より)」

今、どんなに辛くても、解ってもらえなくても、必ず報われるから、耐えて耐えて、生き抜け!!

と生きる道を歩くよう背中を押してくれました。

※三国志の英雄たちは歴史上の人物ですが、命の恩人。

尊敬して已まないので敬称をつけます。ご理解ください!

 

〜当時を振り返って自問自答〜

 

マイク三国志と出会っていなかったらどうなっていた?

ゲッソリ思いっきり、死んでいたと思います。

肉体的には生きられても、精神的に生きることを拒んで、壊れてしまっていたと思います。

また、底なしの人間嫌いになって、手がつけられなくなっていたことも想像に難くありません。

なので、三国志の英雄たちには今でも感謝で一杯です!!!

〜〜〜〜〜

 

同じ時代の同じ国、同じ学校の教師によって、瀕死の精神状態に追い込まれた私は、時代も国も違う三国志の英雄たちによって一命を取り留めることが出来ました。

そしてここから、私の命を13年で終わらせようと仕組んだ人生への逆襲が始まるのです♪