三国志の常識と正しい日本語、どっちを選ぶ?

玄子(げんし)です。

三国志の英雄をどんな風に呼んでいますか?

私は孔明先生、曹操閣下、玄德公、というように
必ず敬称を付けていますが

正しい日本語としては、歴史上の人物に敬称を付けるのは
「間違い」なんだそうです。

いつから!?

三国志の常識と正しい日本語

三国志の時代は姓名の呼び捨ては無礼極まりないってされていました。
なので、面と向かって呼ぶ時は、字や官位名で呼ぶのが常識。

しかぁし!

現代の日本語として正しいのは、冒頭でも述べたとおり
歴史上の人物に敬称を付けない、だそうですが
不敬な呼び方が正しくて
尊敬を込めた呼び方が間違っているって、どうよ?

お金を積まれても使いたくない日本語にランクインしちゃうなんて、、、。

お金を積んでまでも「使ってください!」っていう事はないので
それは全然構わないし、個人の自由でどうぞ、ですが

問題は、敬称を付けるのは間違っている!って
ジャッジされて、排除しようとすること。

歴史を築いた先賢への敬意よりも
「歴史上の人物」って括りにしか興味のない人にとっては、
それが常識なのかもしれませんが、、、。

そんなもんなの?
なにそれぇえ!!!

正しい日本語って、そんなに不遜だったの!?って驚きです。

なんでこの不遜な日本語が正しいのか、私には一生かかっても解りません!

敬意を抱く自由

歴史上の人物に敬称をつけるのが普通だよって方は
大好きな歴史上の人物に謁見できたら
こんな感じになると思います(^▽^)

跪かずにはいられない神々しさ、、、

言うまでもなく私は、カネを積まれなくても敬意を抱いている相手には
同じ一人の人間として、思いっきり敬称をつけます!!

敬意のこもった敬称くらい、自由にさせてよ!って思います。

表現の自由とかいう割に、敬意を込めた呼び方が間違いって
自由を制限するのってどうよ、どうよ、どうなのよぉお!!と
どんなに考えても私には解りません。

故に!!!
歴史上の人物に敬称をつける人の気が知れない!
カネを積まれても絶対に敬称はつけないって方は
今すぐ、私と縁を切っちゃってください!(^_^)/~8去る者追わず。

私は、正しさではなく、時空を越えて私淑する楽しさを共有したいので
大好きな歴史上の人物に敬称をつけることが
普通で、自然になっている方、
これからも時空を超えた縁を大事にして生きませう☆彡

 

岐山武侯祠で「丞相!」と呼んでみた

 

中国では、歴史上の人物に敬称を付けないのが正しい中国語っていうのは
聞いたことがありませんが
道士さんのような方は別として普通は、姓名を呼び捨て。
(道士さんは諸葛武侯って呼んでます♪)

が、だからといって私が諸葛丞相、とか孔明先生って呼んでも
その言い方は違うと指摘されたことは一度もありません。

以前、岐山武侯祠へ行った時、
そこの太守(って表現しか浮かばなかった(@^▽^@)が道士さんで
「どこから来たの?」と聴かれたので「日本から諸葛丞相に会いに来ました!!」と
伝えたら、観光客の中国の人が
「諸葛丞相?」ってぬぬぬ?な感じだったので

「面と向かって名を呼ぶのは無礼にございまする。
故に、敬意をこめて丞相と呼んだまでのこと」といったら

道士さん、「うむ!!!」笑顔で頷き
観光客の人も納得して「諸葛丞相」と呼んでいたので一安心♪

中国全土で諸葛丞相、諸葛武侯って呼ばれることを願っています!!

個人的に武侯祠のなかでは、ここの武侯祠が一番好きです(*^O^*)

 

相手の敬意を尊重するコミュニケーションスキル

 

中国では、日本人の私が「諸葛丞相」って呼ぶと
解る人は(たまに解らない人もいます)「諸葛丞相」と合わせてくれるの、嬉しいです!

アメブロでも私は孔明先生!!!とか諸葛丞相って呼ぶのはもちろん
他の英雄も曹操閣下とか、玄德公とか
絶対に敬称をつけているのですが
そんな私のブログのコメント欄で、孔明先生の姓名を呼び捨てする人って
案の定、三国志観が合わないし
呼び捨てで書かれたコメントを読んでも気持ちよくはないです。

ご自身のブログでどう呼ぼうが、それは一切構わないのですが
わざわざ、コメント欄に残すのなら
相手の気持ち、尊重できないものなのかなって感じます。

 

たとえ、正しくない日本語だとしても
相手が『敬意』を抱いている以上、
その人物に対して、自分自身は敬意を抱いていなくても
敬称を付けることで、心地よい交流を続けられる気がします。

正しい日本語よりも
その人にとってどんな存在なのか?

相手の想いを尊重しながら
心地よい交流をして生きたいですね。

今日もご縁をありがとうございました!