留学「行けば何とかなる」ではなく、「行かなければ始まらない」
玄子(げんし)です。
孔明先生を人生の師と仰ぐことで
私の人生、生き方は大きく変わりました。
そんな時空を越えた奇跡を綴る玄子物語の目次はこちらです。
今日は前回の
留学最大の敵である「親」を言葉以外で説得する方法
の続きからです。
目次
世間基準より、自分基準
1997年3月3日に高校を卒業し、その翌日に
友達と二人で頑張って貯めたお小遣いをはたいて北京まで卒業旅行をしました。
修学旅行の時と違って空港への送り迎え以外全て自由行動だったので
現地の風を浴びましたが、今思えば、、、、順番違う!?
留学するって決める前に事前に現地に行って
「修学旅行とは状況も待遇も違うけど
本当に大丈夫なのか、合っているのか」
しっかりと確かめた方が後々「違った!」ってことにはならないかもしれない、、、って
今気付きました(*´∀`*)22年も経ってから!
そんなわけで、留学が決まってから実際にはどうなの?と北京へ個人旅行しましたが
好きって気持ちに変わりはなく
「私やっぱりこの国好きぃ〜」って想いを再確認しました。
順番は違えど、想いは変わらず!
世間基準ではどうあれ、
私には、この順番で合っていたんだと思います。
これが現実? 一寸先は闇!?
そして、その一ヶ月後ー
開通して間もない秋田新幹線・こまちに乗って辿り着いたのは埼玉県新座市。
この当時はまだ、数ヶ月単位で借りられる部屋がなかったので
学校指定の自称、寮にすむ羽目に。
寮の名前は、紫雲寮って名前で、なんか、、、しうん、、、子雲
趙雲子龍な感じ〜って思いながら着いたら全身肝っ玉じゃない私は
寮の前に降りたって・・・
Σ(~∀~||;)愕然
目の前にあるのは普通の一軒家、、、
手入れされていなくて今にも朽ち果てそうな状態の一軒家。
こ、これが寮?
ここに住むんですか?
ってよりも、住めるんですか?と思いながら中に入ると
「宜しくね〜」
私以外に五人いるけど、今まで学校で避けていたような
キラキラ女子系な女の子が4人も、、、
一寸先、、、4ヶ月先まで闇。
っていうのが正直な感想でした。
担当の人はそんな私に
「同部屋の子は今買い物に行っているので、まもなく来ると思いますよ〜」と
明るく言い放ったけど、、、忘れてた!!!
そうじゃった〜
二人部屋だったんだ
ベッドも二段ベッド。
中国行く前に、ここで挫折しちゃいそうな
そんな重い気持ちになってしまいました。
そんな中、説明会が始まる直前に帰ってきたルームメイト。
「こちらが同じ部屋になる人ですよ〜」
担当者に呼ばれて何の期待もせずに
彼女と対面したらー
キタ━━━(゚∀゚)━━━!!!
なぜかわからないけど彼女と会った瞬間
すっごく不思議な
やっと出会えたような、
ずっと探していたような、
そんな感覚になって
最初に交わした言葉はこんにちは、でも
はじめまして、でも、よろしく、でもありませんでした。
何を言ったのかと言えば、
君の名は?よりも「三国志、好き?」
あまりにも突然な初対面の第一声に対して
普通は、警戒したり、後ずさりしそうなものですが
彼女から返ってきたのは
「もちろん!だから中国へ留学するの!!!」
って一言と、満面の笑み!
人見知りで初対面勘弁しておくれ系の私が、
初対面の人に向かって、こんなことを訊いたのは
後にも先にも、生涯でたった一度。
この時だけでした。
今だったら、三国志が好きな人と価値観が合う人は違うってわかったので
「三国志が好き」って言われると
とりあえず、
逃げますε=ε=ε=( ゚д゚)ノシ サラバジャー
けど当時は、まだ三国志が好きな人はみんないい人って信じ込んでいたので、
すぐに心を開いて同志!!!(≧∇≦)って感じだったのかも。
そんなこんなで「三国志好き?」から始まった彼女との出会い。
寝ても覚めても同部屋だから三国志の話が9割!
「何でもっと早く出会わなかったのだろう?」
って互いに感じていたので
今までの空白を埋めるかのように、毎晩遅くまで話し込みました。
時に1997年4月。
この時は、当然、9月からも彼女とともに
北京で学ぶことを楽しみにしていたのですがー
新座の寮で寝起きして、東京の学校で中国語を学ぶ日々は
何が何だかわからないままあっという間に過ぎていきました。
そんな日々の中、提携先は北京の大学以外にはあり得ないと思っていたら!
「手続きが面倒だけど、何が何でもって言うなら北京以外でもいいわよ」
ものは試し、言うだけただ、とは言うけど本当に言ってみるものですね!
恩着せがましくも北京以外でもOK!という新たな選択肢が出てきました。
留学先の遷都も基準は三国志
その後、寮の仲間だけで夜な夜な話し合った結果
「どうせ斡旋料とか、手続き料金一杯とられているんだから、行きたいところに行こうよ!」
という十代の若者らしい、素晴らしい結論に達し
東京にお住まいの学生は皆、提携先の北京だったけど
新座組は、行きたいところにいっちゃえ!ってことで
山東省、南寧と次々遷都。
ちなみに三国志が好きな友達は北京でないと出来ないことがあるから、と北京へ。
そして私はー
魏→北京
呉→武漢
蜀→成都
さぁ、どこにする!?
高校時代、一目惚れして人生が変わり、ここまで導いてくれた北京か
三国志の英雄に自由自在に会いに行けそうな気がする武漢か
恐れ多い蜀の聖地、成都か!?
決め手は、天命
三国志が好き、孔明先生を人生の師と仰いでいる
だったら!!!
迷うことなく、成都へ行きそうなものですが
憧れが壊されたらどうする?
思っていた成都じゃなかったらどうする?
三国志への想いが現実に負けたらどうする?
留学先決定までの日が迫るにつれ
マイナスなことしか考えられなくなって怖じ気づき、
ついに、最終決定を下さなければならないギリギリまで悩みまくっていました。
そして、悩みながらも決めた遷都先は武漢。
せっかくだから、北京以外、
成都は恐れ多い、という理由から中間地点である
武漢を留学先に選んで決意を伝えました。
するとー
「ぇえ〜!?武漢!?
三国志が好きだって言うから
ついさっき、四川大学(成都)にFAXで申請しました!」
これもまた、天命ー
四川大学、と決めてくれたことが正直言って、、、、嬉しかった!
と同時に、本心はわかっていたのに傷つくのが怖くて逃げようとした自分が
嗚呼、情けない。(´д`lll)
けど、もし、あと数分早く武漢への遷都を決断していたら
私の人生はまた違っていたのです。
姜維殿の子孫だからってことで♪
余談ですが、三国志が好き=成都、と決断して
四川大学に申請してくれたスタッフの方の姓は姜!
そう!孔明先生の愛弟子、姜維と同姓っていうか、子孫ってことにしよう♪
さらに後日談ですが、私は武漢と合わないらしく
行く度に、ろくなことが起きないのです!!
鬼門としかいいようがないくらい武漢周辺に行くと
危機一髪!!!な出来事に遭遇、、、。
留学していたらどうなっていたのか?
こればかりは、天のみぞ知る。
こうして、晴れて四川大学行きが決まり私の人生も
やっと、本腰を入れて動き出すことになりました。
留学に必要なのは自力!
四川大学に行く、と決定したらもう、遮二無二前進あるのみ!
7月に新座での生活を卒業し、8月はテンヤワンヤしながら
留学の準備をしていたので、地に足が着かない状態でした。
四川大学は、提携していない大学なので、
けっこう、一人で書類や手続きをしなきゃいけないことが多く
今のようにネットがあるわけじゃないので
秋田にいながら東京の学校に電話しつつ、
自力で準備を頑張りました。
そして9月。ついに留学!!!!!
秋田を発つ前夜、祖父母に招かれて、ご馳走になりましたが、
そこで祖父が放った一言は、留学生活のみならず
私の中国との関わり方をも支えるものとなったのでした。
続きはまた次回!
気になって気が向いたら宜しくです!
せっかくなら憧れに勝負を挑め!
今日の留学アドバイス☆彡
当初私は、中国に行けたらそれでいい、満足って思っていましたが
それだと、行っただけで満足して目標を失ってしまいかも知れません。
なので、他の人がオススメだから、首都だから、日本人が多い(或いは少ない)から、
って理由からではなく、せっかく留学出来るんだから、
憧れの聖地に直球勝負を挑んでみては如何でしょうか?
憧れが壊れたら、夢が壊れたらって怖がる気持ちよく分かります。
が!その恐れを越えて踏み出せたらあとは絶対に後悔しない!
後悔しそうになっても、決めたらもう、行くしかない!
百聞は一見にしかず。
「行けば何とかなる」ってよりも
「行かなければ始まらない」。
なので行った先で安泰や安定を求めるのではなく行ってからが勝負!
その勝負するならやっぱり、妥協するより好きな場所がいいですよね。
自分の気持ちを素直に受け取って行動してくださいね!
頑張って!!!