臨危受命〜危難に際して大命を受ける〜
人生の師・諸葛孔明先生を尊敬愛しすぎて
今日まで生きている
諸葛孔明先生ファンクラブ日本代表
諸葛丞相.comの玄子(げんし)です。
今日も孔明先生に学ぶ成語な人生をお届けしまぁす!
今日はこちら
臨危受命
(危難に際して大命を受ける)
出師表の
受任於敗軍之際 奉命於危難之閒
がベースになっています。
ここまでの流れ
三顧茅廬(三顧の礼)を経て
歴史的な対面を果たした
孔明先生と玄徳公。
玄徳公の三顧の礼に過激した孔明先生は
隆中對(天下三分の計)を献策。
その気宇壮大な構想に「善!」と一言を発するのが
やっとだった玄徳公。
不満を抱く義兄弟である関羽、張飛両氏に
「水魚の交わり」宣言をするほどの君臣関係。
そんな時に曹操軍が攻め込み
孔明先生が初出茅廬
初陣を飾りました。
が!それから間もなく、
曹操軍が破竹の勢いで襲来!!
頼みの綱の劉表は
かつて玄徳公が
「今なら、帝をお救いできます!」
と曹操軍への奇襲を進言しても聞き入れず
「ごめん〜、後はよろしくね〜」
平和に旅立ってしまいました(−_−;)
だけならまだしも!
跡を継いだ劉琮坊やが
玄徳公たちに一言の相談もなく
あっさりと曹操軍に降伏しちゃったもんだから
生まれて間もない玄徳公のお子、
阿斗坊やの未来を
蜀ファンは垣間見てしまうのです( ;´Д`)
玄徳公が説明を求めると
劉琮坊やは恐怖のあまり腰を抜かしてしまい
「だっせ〜」と思った劉琮の部下や領民たちは
玄徳公と行動を共にすることにしました。
で。長坂坡の戦い
張飛殿や
趙雲殿が大活躍し
何とか、九死に一生を得た劉備軍。
そんな状況下で玄徳公は
自分はもちろん、
劉備軍全ての運命を懸けた大任を
孔明先生に命じたのです。
魏に降伏するのか、戦うのかで揺れる呉国へ
単身赴いた孔明先生を待っていたのはー
次回へ続きます!