師せる孔明先生、幾度も私を走らす(22)〜生きる価値がありません〜

日本にいる自分の価値

三国志愛をぶちまけた分だけ
自分の可能性や、夢、人の和が広がっていた成都での日々が
桃源郷のように感じられた。

だからこそ、日本にいる自分には、
生きる意義も価値もないとさえ思うようになってしまっていた。

このままでは、私は、壊れてしまう。

このままでは、三国志を思い出語りしかできない人生になってしまう。

孔明先生への尊敬愛が高じて留学して、もうここで終わりなのか?

こんなにも尊敬愛する孔明先生への想いはこんなものだったのか?

そんなの嫌だ。私の孔明先生への尊敬愛はそんなもんじゃない。こんなもんじゃない。

でも、誰も私の心に響く答えもヒントもくれない。

私の存在そのものに対して、興味さえない彼らにとって、私は感情のゴミ箱なのだろうか。

掴める藁さえない暗闇の中で必死にもがく私に掛けられる言葉は、留学前と同じ

「現実を見なさい」だった。

私の将来を憂えての言葉だとは思うが、
そんな言葉では私は救われない。

未来まで生きるための今がない

だったら帰国せずにずっと成都にいればよかったのに、と思われるだろう。

言われるまでもなく、成都留学時に就職活動をしたが、
ちょうどその頃、留学生活最後の数ヶ月にサーズの感染が猛威を奮っていた。

コロナ同様、未来が全く見えない状況下にいた私に、
両親は帰国を求めた。

六年間の三国志留学で十分に我が儘、気儘に生きさせてもらった以上、
親に更なる心配をかけることは出来ないと自分の責任で判断し、帰国した。

そして私は、無価値になった。