師せる孔明先生、幾度も私を走らす(21)〜正論も議論も命は救えない〜

崩壊した神話と心

 

六年間の留学を終えて帰国する頃には、インターネットも徐々に普及し始めていた。

日本の三国志が大好きな人たちと交流をしたくて、ホームページやブログを始めた。

成都で知り合った人たちがそうだったように、
三国志を好きな人は、みんないい人だという思い込みを、
神話のように信じて疑わず、三国志交流を楽しんでいた。

だが、積極的に交流すればするほど、
三国志が好きな人はみんないい人神話と、
私の心は壊れていった。

史実だけが絶対で、それ以外は痛いだけ。
如何に英雄達の揚げ足を取り、名声を地に貶めるか?

現代の価値観を物差しに、上から目線で、
重箱の隅をつつくように言動の粗探しをしては、
残念な人呼ばわりした者勝ち。

歴史上の人物には、敬称をつけず呼び捨てにするのが正しい日本語だとする、
現代の日本社会の影響もあるのかもしれないが、
不遜こそが正しいとする風潮が氾濫しているように感じられた。

史実追及や、正史研究が嫌いなのではない。

自分のことは棚に上げて、
同じ一人の人間としての敬意を一切払うことなく、
乱暴な言葉や、攻撃的な言葉で侮蔑することが耐えられなかった。

机上の正論では、命は救えない

私を最も傷つけたのは、
不遜な捉え方ができないと本当のファンとは呼べない、
ただの痛い人だと言わんばかりに、
大好きな英雄達の魅力を描いた記事に対して、
聞いてもいないのに逐一批判的なコメントをしてくる、
心の痛みが分からない人の存在だった。

それだけブログが読まれている証拠だとか、
色々な考えの人がいるとか、
いちいち気にしていたらキリがない、
意味がないと言われたが、

そんな風に割り切れたら心は痛まない。

大好きな三国志で、
何でこんなに嫌な想いをしなければいけないのか?

私にとって三国志の英雄達は
命と人生を救ってくれた恩人である。

批判的なコメントを書いてくる人は、
例えその内容がどんなに正しいことであったとしても、
私の命を救うことはできない。

後世の人間として三国志の英雄達にジャッジを下す彼らと、
同じ一人の人間として三国志の英雄達を尊敬している私。

三国志が好きという表面上の繋がりだけで、

一緒くたにされたくない、と思った。

だが、このままでは私は、三国志に生きられなくなってしまう。

でも、どうすればいいのだろう。
相談してもメンタルが弱いとか、
みんな経験しているとか、
一般論として片付けられてしまうだけだった。

あんなにも望んでいたのに
次第に三国志が好きな人との関わりを
避けるようになった私は>>>