孔明先生の文霊想作をする上での絶対的な基本は中国語ではなく「これ」!

諸葛流文霊想作家の玄子(げんし)です。

*文霊(あやだま)とは?

時代、時空、国境を越えて読む人の心を動かす力を持っている字には(魂、精神)が宿っているという概念から生まれた玄子の造語です。

孔明先生の文霊はとても奥深く、普通に兵法書として読み流すにはあまりにも、もったいない!
ので!!「現代生活で活用するには?」という私独自の視点と、孔明先生の人柄や魅力を取り入れながらから文霊を想作しています。

ここまで、誡子書と誡外生書に学んできましたが、読み流していませんか?

學而不思則罔,思而不學則殆

論語の一文で、孔子が学ぶことについてのコツを述べたものです。

ただ本の知識を読むだけで、自分でその内容について深く掘り下げて考えたり、
その書物が伝えたいことの本質や、核心部分を理解することなく
漠然と学んだところで合理的且つ実践的に応用することはできず、彷徨って終わってしまう。

だが、だからといって想いや空想ばかり巡らせて基本的な学びや研鑽を積まないことには
砂上の建物のように、たちどころにして無に帰してしまう。

だからこそ、学ぶことと考えることを結合させることで実生活で使える知識となる。

というのが大体の意味。

孔明先生の文霊想作の基本はこれ!

孔明先生の文霊も同じ。

書かれた原文の意味を書き下し文にしたところで、自分の言葉で理解できなければ意味がありません。

私の文霊想作を参考に自分の心に響く、納得できる、腑に落ちる言葉で解釈をすることに意味があるのです。

今はネットで検索すれば大体のことは調べられます。

でも、自分にとっての正解は自分にしか判らないのはネット時代の前から同じ。

全てにおいて基本は大事なのも同じ。

ところで!孔明先生の文霊を想作するときの一番の基本、基本中の基本ってなんだか分かりますか?

もちろん、中国語は基本ですが、それよりも、もっと基本となるのは

孔明先生の人生そのものと、孔明先生への敬意!!

孔明先生がどんな方なのか?
私淑することで印刷された活字に魂が吹き込まれ文霊となるのです。

なので、孔明先生の文霊は、試験や議論をする方にとっては何の効力も発揮しません。
が!孔明先生の文霊を自分の人生で活用させたい人にとっては、学びと思考を結合させる力となります。

これからも、孔明先生の文霊想作を基本としてお伝えしていきますので縁と価値観が合ったら宜しくお願いします!

玄子(げんし)

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