平凡な人生で終わらせたくないなら

諸葛流文霊想作家の玄子(げんし)です。

*文霊(あやだま)とは?

時代、時空、国境を越えて読む人の心を動かす力を持っている字には(魂、精神)が宿っているという概念から生まれた玄子の造語です。

孔明先生の文霊はとても奥深く、普通に兵法書として読み流すにはあまりにも、もったいない!
ので!!「現代生活で活用するには?」という私独自の視点と、孔明先生の人柄や魅力を取り入れながらから文霊を想作しています。

前回の文霊 若志不強毅  意不慷慨 徒碌碌滯於俗 の続きからです。

今日の文霊*誡外生書15

默默束於情 永竄伏凡庸 不免於下流矣!

 

今日の心譯

默默:志を遂げない

束:縛る、拘束する

志を遂げないまま、情に流されたり、或いは束縛されるがままになってしまっては
いつまで経っても凡庸な生活に逃げ隠れてしまい
最終的に、何もしないまま
下流に留まったままの人生を終えることになってしまうだろう

志があったとしても、何もしないまま誰かや何かのせいにして後回しにしたり行動しないまま
その誰かや何かのせいにして、行動をしない日々を
「平凡が一番」と言い聞かせているようではずっとそのままです。

誰かがある日突然
「その志、感動した!」と何もしていない人を見つけて志を実現してくれることはありません。

玄徳殿が旗揚げしたときに「感動した!」と張世平さんが軍馬や資金を融通してくれたのも
実際に旗揚げをして、準備をしていたから。

まずは行動をしなければ始まらないのです!

なので私は成都に留学をしました。
志とかハッキリわからなくても、三国志の英雄のような天下万民を救う素晴らしい志がなくても
まずは何が何でもやってみたいことを実現する。

とはいえ、、、本当に本当にやりたいことって、やったら壊れてしまうような、、、
誰かに土足で踏み入られてしまうような、、、
それまでの自分の価値や想いが否定されるような、、、

そんなことがあるかもしれないって思うと守りに入ること、あると思います。

でも、だからといってやりたいことをやらない平凡な生活を繰り返して人生を終える、、、
そんな人生で大丈夫ですか?
死ぬ間際に「あの時やっていれば」って後悔しませんか?

本当にやりたいことを行動に移すまで
色々悩んだり、他のことに紛れ込ませたりしながら試行錯誤あると思います。

私は孔明先生の文霊想作。
ここに来るまで10年くらいウロウロしました。
色々試しながら、本当にやりたいのは孔明先生の文霊想作だと確信できて
孔明先生の文霊想作こそが私の志命だと覚悟を決めるまで
「三国志」の寛大さに甘えていたような気さえします。

それでも毎年、蜀へ帰ったり、三国志全般を伝えているうちに
自分の無力さや不甲斐なさと向き合いながら辿り着いたのは
私の命を爆発させたいと思ったのは

孔明先生の文霊想作。

すぐには決められず、試行錯誤して辿り着くにしても
やっぱり何らかの行動があればこそ。

これ!って思ったことが違うのか、どうなのか。
やってみないことには分からないし、
違っていたとしても、目に見える進歩や成果がなかったとしても・・・

覚えていますか?孔明先生の文霊。

それまで積み上げてきた「美趣」が損なわれることはないのです。

なので!他人とではなく自分との比較でちょっとずつ自分の心の歩幅に合わせて行動して生きましょう!

ということで!

孔明先生の文霊。
誡外生書はここまで!!!!

是非、自分なりの解釈や想作をしてみてくださいね!

心譯*玄子(げんし)