脱!三国志!?
玄子(げんし)です。
留学生活を終え、三國志游學記を出版し
呉の国でさらに学びを深めるのかと思いきや、、、
そこで私を待っていたのは
って現実でした。
最終的に、最後の砦として心の故郷、成都へ帰ったことで
生きる情熱を取り戻したのですが、、、
目次
三国志が好きな人に悪い人はいない神話、崩壊!?
呉国での仕官を終え、日本へ戻ってきた私は
徐々に普及し始めていたインターネットを通して
同じく三国志が好きな人たちと交流をするようになりました。
有料だったけどホームページビルダーや、ブログを使って
大好きな三国志を表現することは、すっごく楽しかったです♪
とくにJUGEMブログは初めて起ち上げたブログでしたが
コメントしてくれる人はいい人ばかり!
三国志が好きな人に悪い人はいない!!!って思えるくらい
知識と修養を兼ね備えた素敵な人たちと交流させてもらいました。
たとえ、陳寿三國志派でも
私のブログ内では、私の言わんとすることを解ってくれて
正史絶対的価値観を押しつけることなく
記事にあったコメントをしてくれるので共感出来て
学べるコメントや気付きが多かったです。
その後、ブログが普及し、ホームページの閉鎖に伴い
JUGEMブログからアメブロに場所を変えたのですが、、、
そこで私は三国志が好きな人に悪い人はいない神話は、
思い込みでしかなかったという現実に直面します。
史実絶対!価値観押しつけ隊参上!!
陳寿三國志派でも、史実追及が好きでも
それはそれで、全然よいのです。個人の自由。
その考えや想いを自らのブログで発信したものを
私自身は興味がないからみないだけで
いいとか、悪いって話ではありません。
が!その価値観を押しつけてくる人が
思いの外、一杯いました。
ご自身のブログ内で書かれたら良いのに
三国演義に見る三国志文化や、
民話伝説に感じる現地の人の想い、
それを大事にしている私の個人的な英雄たちへの想いを
熱く楽しく書いているブログのコメント欄に
敢えて態々、頼んでもいないご高説議論をかいて来る
正しい三国志を求める人たち。
価値観押しつけ隊が来た!逃げろε=ε=ε=
三国志を楽しみたいだけ!
私にとって三国志は、熱くなれるし楽しくなれる
癒やしでもあり、起爆剤でもある
人生幹、そのもの。
三国志って言うと、文学や歴史っていう
堅苦しいイメージがあるから
そんなイメージから脱却して楽しみませう!ってのが
概念だったのですが
楽しんでいると、
なぜか、上から目線の人が来ちゃうんですよね〜。
堅苦しいことを書いていても来ないけど
楽しいことを書くと決まって興醒めするような
土足で踏み入り、水差し活動をしていきます。
、、、何なんでしょう!?(^_^;
私はただ純粋に、三国志は楽し〜よ〜って伝えたいだけなのに、、、。
もちろん、一緒に楽しんでくれる素敵な仲間も沢山いましたが
価値観押しつけ隊のコメントは他の人にも不快感を与えるもの。
ただ、楽しみたいだけなのに、、、
コメント不採用で逆ギレ!!事件
変なコメント、迷惑なコメント、色々ありましたが
その中でも特に、困ったのが
記事の内容とは関係のない、日記コメント。
その時も、日記コメントは違うなと思ったので
その人のコメントは承認しませんでした。
その人以外にコメントくれた人のものは
記事内容と合っていたので承認して、返信もしました。
そしたら、逆ギレされました。
「なんで俺のコメントは承認しないんだ!礼に欠く!」と。
思いっきり逆ギレっぷりの伝わるメッセージでした。
なので、「なぜ承認しなかったのか、その理由を聞かずに
一方的に礼がどうの、こうのと言われても、、、」と返し
私と私のブログは忘れてください、と返信しましたが
この頃から、本格的に悩みます。
脱!三国志
三国志が好きな人と関わって
イヤな思いをするって、、、何なの!?
大好きな三国志でイヤな思いって何なの?
なんかもう、三国志とか三国演義とか
そんな枠にはまったもん、どうでもいいわ!!!!
ってちゃぶ台をひっくり返したくなる衝動に駆られた私は
そもそも、三国志って書物の名前に制限されるから
三国志が不自由で不便なんだ!!!
こうなったら、三国志から脱しよう!!!
三国志って概念から離れよう。
脱!三国志!!!しよう。と決めました。
・・・が!脱したところで、何なのさ?
何が出来る?
三国志に囚われずに三国志英雄と楽しむ方法って何?
三国志に制限されず、孔明先生への想いを
尊敬愛を深めて自分を高めるにはどうしたらいい?
って新たな悩みが勃発。
こればっかりは、誰に聞いても解らないし
仮に答えを出されても、私は納得できないと思った。
ので、そんな私が向かったのは
孔明先生!!!
孔明先生の永住地、武侯墓でした。
「このままでは、孔明先生への想いも
三国志に潰されてしまいます!!!
孔明先生への尊敬愛を貫くために
私に出来ることは、なんですか?」
孔明先生への悩みは、直接本人に打ち明けるのが一番。
そんな想いだけで孔明先生に謁見するべく、
12年ぶりに武侯墓を訪れました。
初めて中国に留学した1997年以来の謁見。
その間、色々なことがありすぎたけど
私が感じたのは「孔明先生は、ずっと見守っていてくれたんだ!」
確信にも似た思いが私の迷いを吹っ切ってくれました。
「死せる孔明、生ける仲達を走らす、、、
死せる孔明、生ける現代人を走らす」
こうして、スピリチュアルでも議論武装でもない
私だけの道が孔明先生によって拓かれるのですがー
気になったら次回も応援してくださいね!
今日もお付き合いいただきありがとうございました〜!