自分語りから自己表現へ!

玄子(げんし)です。

自分の話は誰も聴いてくれない、
話すのが苦手、
周りの人は解ってくれない、、、

だけど

自分を解って欲しい
話を聴いて欲しい、認めて欲しい

って思うと、つい何らかのタイミングで
自分語りしちゃうこと、ありませんか?

 

目次

限界破裂で自分語り

 

私は留学生活の前半まで、一番年下の日本人だったので
いつも聞き役に徹してばかりで
たまには私の話も聴いてよって衝動に駆られてました。

でも、誰も聴いてくれないから
つい、本音を隠して、聞き役に終わって、疲れるだけ。

でも、それがずっと続くとやっぱりうちに秘めた本音が
「たまには、喋らせて〜!」って出てきて
なんかの拍子に限界破裂!

「普段大人しいのにどうしたの?
まるでマシンガントークだね」とさえ言われるほど。

これ、今で言う、自分語り、ですよね(^_^;恥ずかし〜。ごめんね〜。

 

自分語りとは?

Weblio辞書には自分語りの意味として

自分自身に関連する私的な物事について、会話の中やブログ、SNS上などで詳細に語ること、
あるいはそのさまを意味する俗語。

「自分語り」の語は、その「語り」の内容にさほど興味がなく、
鬱陶しいという感情を抱いている聞き手によって、否定的に用いられることが多い

と説明書きされています。

私個人の見解としては、ブログは自分のブログであれば
自分語りしても、読みたい人が読めば良いので、
思いっきり自分語りが許されてもいいのかなって思います。

興味がなければ見なければ良いだけなので。

ただ、自分の言葉を受けとめる相手がいる「交流」する場合は
自分語り、する側は良いけど、される側は、、、勘弁してよって思いますよね。

自分語りをした内容に対して、どう思う?とか
感想を催促されても、、、

自分語りの内容に対して共感も、いいね!も思わないのに
相手が納得、満足する反応を求められると、、、

や〜め〜て〜

心の中で悲鳴を上げちゃいますよね。

自分語りをする理由は?

誰かに構って欲しい、認められたい、褒められたい、
そもそも、他人に興味がない
自分の話が役に立つと思っているから、っていうのもありますが

自分語りをすると、快楽中枢が刺激されるんだそうです!

 

この快楽があるからこそ、自分語りは
やめられない、とまらない状態になっちゃうのかもしれませんね。

ただ、自分を語ることは人として当然の欲求なので
自分を語れるのは素敵なこと☆彡です。

が!問題は、「一方的に」キャッチボールにならない
話を続けられること。

「ちょっとトイレ行ってくる」って遮っても
戻ってくるとしっかり、続きから再生されたり

(゚Д゚)一時停止してた?

私の話を聴いてきたので話していたら
相手の体験談を引き出す単語が出てきたようで
再び自分語り劇場開幕、私聞き役ってことがあって
流石に、体調を崩しました!

翌日、起きられませんでした(^_^;

一方的に自分語りをすることだけに固執して
相手の気持ちを見失って、相手のことを解ろうともしないのに
「解ってくれない」って思い込むのは
自分が相手の気持ちを尊重していないだけだったりするんですよね。

 

自分語りをセーブする方法

留学生活の前半は自分語りをしてしまっていた私。

三国志が好き、とか興味あるって人がいると
相手の都合もお構いなしに
三国志への想いや、旅先での出来事を一方的に話しまくっていました。

年上の人たちが皆、私に話したいだけ話してスッキリして
私だけ聞き役に徹しているんだから、
たまには自分語りくらいさせてよ!!!って思っていましたが

「自分語りをして他の人を不快にする必要はない」って
自分への戒めに気付いた時、
自分語りしたい欲求を解消する方法を見つけることができました。

その方法はとっても簡単!今すぐ出来ます。

用意するのはノートと鉛筆。

感情的になったら自分に自分語り

私は留学してから毎日、日記を書いていたのですが
最初は表面上の出来事だけを書いていました。

あれ食べた、とか、この人と話した、とか。

でもある日、表面上の出来事は充実しているのに
全く満たされていない心がムクッと起き出しました。

そこで、出来事は、出来事として書きながらも
その時、どう感じたのか、何を思ったのか
改めてどう思うのか?心の声も反映するようにしました。

すると、心が納得と充足感に落ち着いていき
なぜか抱いていた自分への罪悪感も消えました。

またある日は、すっごいムカつく出来事があると
ノートに、誤字脱字関係なく、
文法や文脈、話の流れなんて関係なく
思いつくがママに、遠慮することなく赤裸々に怒りを殴り書き。

出来事よりも、心の声をともかくぶつけ、
うきゃ〜〜〜〜〜〜〜〜〜っと殴り書き。

そうこうしているうちに、
自分の最大の理解者は自分だけってことに気付けて
一人で聞き役と話し手になって、怒りを鎮められ
短気は損気になりそうな言動を未然に防ぐことも出来ました。

 

必要なのはノートと鉛筆

今はネットが普及しているけど
誰にも見せない、という前提の元、書き殴るので
やはりノートと鉛筆をオススメします。

ネット上に書いてしまうと、誰かに見られるかも知れないし
誰かに聞いて欲しい、解って欲しいって承認欲求が出てしまい
自分語りの域を脱することは出来ないので、
ノートがオススメです。ルーズリーフよりも、ノート。

シャープペンは、力みすぎると
良いところで折れてしまい、話の腰を折るので
鉛筆がオススメです。

感情的になると、かなりボキボキ折れるので
喜怒哀楽を殴り書きする時は、鉛筆で♪

 

自分語りから自己表現へ!

感情的になった時以外にも、
これから先、やりたいこととか、志が魂に重なった時とか
誰かに言いたい、伝えたい衝動に駆られたら

誰かに自分語りするのではなく
ノートやブログに自己宣言する方が効果的。

その方が、誰かの反応を気にすることもないし
後々、この時に書いた想いや発見が、自分を鼓舞出来たりもするので。

日常的なことから、心の想いの果てまで
自分語りしてしまうと
聞き手に依存してしまう危険性があります。

そうならないためにも!

感情的な想いは自分に自分語り、
伝えたい想いはブログで熱く語ることで
依存ではなく、主導的に自己表現してみては如何でしょうか?

ちなみに自己表現とは、
自分の気持ちや感情を様々な方法で形にしてそれを人に伝えられること

せっかくなら、自分自身の想いや、志、情熱を
自分語りではなく、自己表現することで
生きた甲斐のある人生、送りませんか?