国境とトラブルを越えて辿り着いた聖地
玄子(げんし)です。
孔明先生を人生の師と仰ぐことで
私の人生、生き方は大きく変わりました。
そんな時空を越えた奇跡を綴る玄子物語の目次はこちらです。
今日は前回の
留学「行けば何とかなる」ではなく、「行かなければ始まらない」
の続きからです。
目次
私を支えた祖父の言葉と後悔
留学前夜、祖父が私に手向けた一言は
「中国の人は腹を割って付き合えば日本人よりも信頼できる。
中国の人とは、仲良くしなさい」
かつて戦地として赴いた中国で命をかけて感じた祖父の本音そのものでしたが、
だからこそ、とっても意外でした。
この言葉はその後の私の留学生活のみならず、
中国の人との関わりにも大きな影響を与え、支えてくれたのですが
今思えば、留学前にもっと、祖父が体験したことを聴けば良かった、と思います。
祖父は6年前に亡くなりましたが、私が留学していた時期は
中国のことを出来るだけ多く、話してくれようとしていました。
私も身を乗り出して祖父に話させようとしました。
が!この手の話って、他の人は嫌がります。
留学中の夏休みに帰国した時に話を聴こうと思っても
「今更そんな昔話、しなくてもいい!」と叔父や従兄弟に話を遮られ
結局、聴けずじまい。
後年になると祖父ももう、辛かった日々のことは話したくなくなってしまいました。
話を聴きたい、って相手がいたら、遠慮していてはダメですね。
相手もいつまで、その話をしてくれるか解らないので
相手が話したいって思っていて
こちらも聴きたい!って思ったら他の人に遠慮することなく
たとえそれが、家族であろうとも
その時だからこそ話せる、聴ける機会、大事にしてくださいね!
いつでも帰ってこい!って言われると帰れなくなる?
「中国の人は腹を割って付き合えば日本人よりも信頼できる。
中国の人とは、仲良くしなさい」
この一言を放ったときの祖父の顔は、いつになく真剣で厳しい眼差しでしたが
言葉を伝え終えるといつもの祖父の表情に戻り
「いやになったら、いつでも帰ってこい!
飛行機代くらい、いつでも出してやるから無理はするな」と
心強く優しい一言を添えてくれましたが
いつでも帰って来いって言われると却って、弱音を吐くことなく頑張れることを
祖父は知っていたのか、どうなのか?(*´∀`*)
ともあれ、留学前夜に祖父が手向けてくれた言葉は
その後の私の人生を励まし、支えてくれることになるのですが
この時は、まだ祖父の言葉の重さを知るよしもなく
それでも、なぜか心に強く響いて刻まれました。
始まりからトラブル続きの留学
そしてついに、1997年9月5日。
1年分の学費と生活費、6年分の留学生活への期待を
でっかいスーツケースに詰め込んで、いざ、出発!!!
母と兄、それから祖母が仙台の空港まで送ってくれることになりました。
「行ってきます!」
さぁ、ここからだ!!!
と思いきや!!!!
すぐさまトラブル発生!!!!
トラベラーズチェック騒動
先ずはお金!!!この当時は今のように海外に送金するって
並大抵のことじゃなく、
トラベラーズチェックを使っていました。
※日本国内では2014年3月31日を以て全ての販売が終了しちゃったみたいです。
使い方は先ず、日本円の現金をトラベラーズチェックで外貨(ドル)に変換して
その後、現地でそれを人民元に換金するという実に面倒なもの。
でしたが、当時はそれが一番安全でスマートだったのです。
そういう時代だったのです。
そんなに面倒なのに、父は、、、
出発する日の朝になってからやっと、渋々お金をくれました。
お金を出してもらう側としては「もっと早く出してよ」とは言えぬもの。
出来れば1週間くらい前に手元にあれば、
トラベラーズチェックに変換してくれる銀行に行って準備できたのに!!
時間も、対応してくれる銀行も限られている中
新幹線で仙台駅へ着いてから、汗をかきながら仙台の銀行で変換。
一枚ずつ、銀行員さんの前でサインしなきゃいけないから
すっごい時間かかるんです!
やっとお金をトラベラーズチェックにして
仙台空港でチェックインしてからお昼を食べたのですが、
そこで第二のトラブル発生!
最後の一人は私です
私は緊張していたので食事は少なめでしたが、
のんびりな兄がデザートまで注文して食べたので
思いの外、時間が経過(^_^;
でも、チェックインしたしぃ〜って大きく構えて
ゆっくり別れの挨拶でも、と思いきや
「北京行き、最後のお客様〜」
って拡声器で叫ばれているのって私!!!!!!!
しんみりシミジミなお別れ、門出とは無縁の
慌ただしいやら、申し訳ないやら、パニクるやら。
これ、食後にチェックインとかやってたら、
完全にアウトでしたね!
今では出国手続きは簡略化されていますが
当時は空港で書く書類が意外と多く、
思いの外、時間がかかってしまいました。
また、今ではチェックインしても時間になって来なければ
出発することもあるらしいので、
あの時代の寛容さに感謝!!!!
ただ、この時の教訓のおかげでその後は毎回余裕を持って搭乗出来ているので
この類いの恥ずかしい失敗は若いうちにしておいた方がいいですね(^_^;
私がこんな思いをしたのに、相変わらずギリギリな父と
時間を気にしない兄にとっては他人事だったようで
何事も自分で経験しないと学びにならないかも知れませんね〜。
そんなこんなで、翌日。
三国志と運命の再会を果たし
三国志が大好きってだけで
高校卒業後、単身、私が乗り込んだのが
蜀の聖地、成都にある四川大学だったのです!!!
ってテンション上がったのも束の間!
一足先に北京に着いた友人の言葉を思い出しました。
「寮、最低だよ。
一人部屋なんて絶対に無理!
四川なんてもっと田舎でしょ?大丈夫?」
異国の地での寮生活ー。
私を待っているのは!?