言論の自由「だけ」を主張するとなぜ敬遠されるのか?

玄子(げんし)です。

基本的に紙書籍が好きなのですが、辞書だけはネットを活用することが多くなりました。

言葉は生き物だから次々と新しい言葉が生まれては消えるシャボン玉みたいなもの。

明るい 日差し 夏 空 青空 シャボン玉 しゃぼん玉 春 背景 夏休み 雲 光 逆光 バックグラウンド 輝き エコ さわやか 清々しい 初夏 クリーン きらきら キラキラ 透明感 軽やか バブル 天空 フレア ハレーション 五月晴れ 浮遊感

日本語もだけど、中国語もネット用語とか追いかけてもキリがないくらい

沢山あって、しかも漢字からは連想できないものとかもあったりします。

最近知った中国語は秀xiu逗dou.

秀でるって漢字と、「面白い」って意味のある「逗」を使っているから
笑わせるのが上手い人とか褒め言葉なのかなと思っていたら
(実際に褒められているって思って喜んだ中国の人もいるくらいです)

実は実は!!!言われたくない一言!でした。その意味とは?

秀逗とは、短絡的な人のこと!

英語のshortが日本に伝わって「ショート」として使われるようになり
それが更に広まって発音に合わせてこの漢字が抜擢されたようですが、

日本で人に対して「ショートだね」って言ったら
「ショートカットにしたんだね」とか
「ショートケーキで決まりだね!」みたいな雰囲気ですよね。
※個人の見解です。

なので、日本における「ショート」とはちょっと違う気がして
イマイチ、意味が分からなかったのですが
中国語でのショートの説明を読み続けたら

ザックリ言えば短絡的な人のこと。

中国的「短絡な思考回路の人」ってどんな人?

その場の状況を察することなく、短絡的に思いつきで
不適切な言動をしてしまう残念な人のこと。

ただ、本人は不適切な言動をしているという自覚がないので
往々にして他の人に「この人、どうなの?ヤバいんじゃ?」って印象を
与えてしまうことがよくある。

が!相手に不快な思いをさせているのかどうか、といった判断は
その人自身の心で悟れるかどうかがポイントになる。とのこと。

じゃあ、どうやって悟れるようになるのか?
どうすればショートしないのか?ということで!

今日の孔明先生の文霊(あやだま)

相手の気持ちを考えることなく、一時の衝動に駆られて

言いたいこと、やりたいことをやってスッキリしたとしても

覆水盆に返らず。

後になってからどんなに悔いても取り返しはつかない。

己だけの感情に拘泥(こうでい:こだわること)せず

相手の立場や気持ちを理解した上で

今、この状況で言動に移したらどうなるのかを

落ち着いて考えられるようにしよう。

原典:孔明先生著*心書
心譯:玄子

言論の自由よりも

言った側は忘れたとしても
言われた側は忘れません。

たとえば自分の好きなことや、友達、お気に入りのものや
自分にとっては譲れないこと、命と同じくらい大事なことを
悪く言われて傷つかない人はいませんよね。

議論する場じゃないのに意義や異論を唱えて
不快な思いをさせる必要はないですよね。

他の人から見たら大したことのない、価値のないことでも
自分にとっては、人生と命の原点的存在なことってありますよね。

なので、簡単に批判や上から目線で議論を吹っかける前に
その人にとっての大事なこと、価値観を尊重する方が先です。

で、意見を求められたら、その時は言えば良いし
そうじゃないなら、土足で踏み入るような言動は慎むべきです。

何でもかんでも発信する時代だけど
言論の自由が主張される時代だけど

それ以前に、

相手の気持ちを想像できる心の余裕
人として、相手を思いやれる気持ちって
何よりも大事な気がします。

時代に流されることなく
人として大事なことを大事に出来る人間でありたいですね♪

 

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