死後をも支配する!?天職を退いた後の人間力
あの世で孔明先生が
会ってくれる人間になるべく
今日も生きている玄子(げんし)です。
私は孔明先生に学んで
人間力を深めていますが
人間力を深める以上に
こりゃ大変だなって思うのは
人間力はゴールがない
ってことです。
孔明先生は志半ばで
五丈原から天に還りましたが
天下を統一していなくても
今でも中国内外、
老若男女問わず
多くの人に畏れながら愛されています。
それは偏に
孔明先生の生き方によるもの。
その一方で
天下を統一しても
嫌われている暴君も
歴史上、数知れず。
それくらい人間力の深さ
どう生きたか?
って大事です!
こんな年の取り方はしたくない!
歴史上の人物だけではなく
身の回りにもいませんか?
「若い時は、現役時代は
あんなにもいい人だったのに」
「人格者だと思っていたのに」
「目標にしていたのに」
のに!!
年を重ねて退職したり
一線から身を引くようになったら
すっごく感じ悪くなったり
性格が批判的、攻撃的になったり
短気になって怒りっぽくなったり
「同じ人ですか?」
ってくらい人間性や性格が
悪い方に変わってしまう人。
何があったのか
何も無くなってしまったのか
元々の性格が出てきたのか
何なのかわからないけど
感じ悪くなってしまった現実を
突きつけられると
敬慕していた分だけ
なかなか、ショックですよね。
天職を退職した後が勝負!?
職業を「天職」としていた人って
その職を退いた時に
何が残るのでしょうか?
そしてその後の人生
それまで積み上げた人徳を
過去の栄光にするのか?
行動力と視野、
思いやりの心が狭まらないよう
言動に気を付けていけるのか。
その人の最後を飾る道に続く
分かれ道に差し掛かります。
「天職」に
生きていたからこそ
慕っていた人たちは
職を退いた後の姿を見て
絶望するのか?
ますます敬意を抱くのか?
「若い時、現役の時は
いい人だったのに〜」と
言われるのか
「若い時は難しくて苦手だったけど
大器晩成型だったんだね!」
と言われるのか
「最後まですごい人だった!」
と言われるのか
人間力の深さ
どう生きたか?は
死ぬまで、
或いは
死後もなお
影響し続けます。
天職を退いた後
天職に生きた自分を
活かすも殺すも
その後の自分次第。
私は死ぬまで孔明先生に
学び続けることで
あの世で孔明先生が
会ってくれるような
人間になる!という
十三歳の自分との約束を
守って逝きたいと思っています。
人間力、死ぬまで油断せずに
深め続けて生きたいですね!
玄子(げんし)