失望の先にあった「孔明先生が人生の師で本当に良かった」と痛感した件

孔明先生が人生の師で
本当に良かったと
痛感している
玄子(げんし)です。

それまで慕っていた人に
裏切られたり
失望したり
ってこと
誰でも人生で何度か
あると思います。

失望や残念!を感じた時に
それまでの思い出や
その人を慕っていた
自分の存在さえ
すっごく虚しく思えたり

私って何なんだろう?とか

こんなことなら
この人間関係、いつまでも
大事にするんじゃなかった、とかとか。

自分で自分の人生を責めて
自己肯定感が自然と暴落しちゃうハメに・・・。

って時に孔明先生が

「・・・で?
それがどうした?」

というのです。

相手が今、どうであろうと
それまで相手に学んだことや

相手を慕ったことで
自分の人間力を深めることが
出来たのなら

相手がどうであろうと
その人に学んだことや
これまでの思い出、経験は
決して無駄にはならない。

君の価値はそんなことで
損なわれるようなものではない。

というのです。

これまで積み上げてきた
目には見えないもの
大事なものさえ放棄した時

これまでの自分を貶した時
自分の価値はそこで本当に
損なわれてしまうのかもしれません。

自分を失望させた相手と
自分自身のこれまでは別物。

何なら
「なぜ失望したのか?」
って心の嘆きに
向き合うことで
今後の自分自身への
戒めとすることができます。

そんな風に
相手と自分を切り離して
自分に集中して
人間力を深め続けて生けたのなら

誰を恨むこともなく
自分を蔑むことなく
人生を全うできるのでは
ないでしょうか?

孔明先生は歴史上の人物だけど
だからこそ
生涯変わらない高尚な志と
その生き方に学ぶことは尽きません。

生きれば生きるほど
生きることが
どれだけ難しく大事なことを
知っていくから・・・。

孔明先生の文霊に学んでいなければ
私は今頃
自分の人生そのものを恨んで
意味のないものにしていました。

故に思ったです。

孔明先生が人生の師で
本当に良かった!!と。

私が救われた孔明先生の文霊(あやだま)

何損於美趣

私は何も間違っていなかった。
これからも自分の心や想いを
大事にして生きたいと
改めて思いました!

孔明先生、ありがとうございます!!