師せる孔明先生、生ける屍(わたし)を甦らす(27)〜命と人生の根幹へ〜

玄子(げんし)です。

 

孔明先生との時空を超えた奇縁を描いたエッセイ

【全22話】師せる孔明先生、生ける屍(わたし)を甦らす

出会ってから留学するまで↑

23話以降は こちら よりご覧下さい。

「孔明先生。尊敬愛しています!」

孔明先生を祀る武侯祠は中国各地にあれど、
孔明先生が永眠する武侯墓は世界に一つだけ。

最初に訪れたのは、成都に留学して二ヶ月目の時だった。
この頃はまだ挨拶程度しか中国語を話せなかったが、
何がなんでも、十代のうちに孔明先生に謁見したかったので、
尊敬愛と情熱だけを頼りに列車に乗って一人旅を決行した。

残念ながら、この時の一人旅は失敗に終わった。

というのも、
頼んでもいないのに高校を卒業して間もない日本人女性が一人では不安だからと、
勝手に添乗してきた宿泊先の従業員の女性が実に話にならない人だったのだ。

武侯祠に孔明先生は祀られていない、とか、
武侯墓は見る価値がない、などと好き勝手。

それを押し切る中国語力も、中国人対応力もなかった非力な私にとって、
記念すべき武侯墓初参拝は、
添乗員に食事を奢ったついでに、
散歩しに行ったような屈辱的なものだった。

この時の教訓として、
三国志跡旅は何がなんでも絶対に一人で行く!
と心に誓った。

(悲喜交交ひきこもごもな旅の詳細は拙著

三國志游學記をご覧ください)

三国志跡はおひとり様で

そんな誓いを胸に留学中は、
とにかく三国志跡の有名どころだけは抑えようと、
北は洛陽から南は赤壁まで。

大きなリュックを背負って大陸を放浪した。
もちろん、一人で。

自分自身の体力や精神力はもとより、
ある日突然、海外へ行けなくなってしまう日が、
何の前触れもなく、長期にわたって襲ってくることを体験した今。

縦横無尽に動けた留学中に、
無理をしてでも、
行きたい三国志跡には全て行けて良かったと改めて思う。

そして、初めて武侯墓へ行ってから12年。
干支がひと回りした頃、

私は命と人生の根幹である武侯墓の門前に立っていた。

人生を終わらせるべきか否か、

最期の賭けをすべく私は一人、武侯墓の門を潜った。

そんな私を待ち受けていた奇跡とは>>>