真珠だと思ったら、魚の目だったぁあ!!ってならないためにも

諸葛流文霊想作家の玄子(げんし)です。

基本となるものをしっかり理解、分別できなければ
見分けることってできません。

判断となる基準がなければ、何事にも自信が持てず疑惑が生じてしまいます。

ってことを孔明先生はこんな例を挙げて伝えています。

見た目は同じでも・・・

例えば・・・

白い石と、玉
どちらも白くパッと見、似たような感じなので
石と玉の判断がつかなければ、玉を捨て、石を大事に懐に忍ばせたり、、、

魚の目と、真珠
魚の目といっても生きている魚ではなく
真珠のように白く丸くなってしまった状態。
色、形が似ているので、見分けがつかなければ魚の目を真珠の首飾りにしちゃったり!?

判断基準となる「本物」が解らないと、その辺の石や魚の目を
玉や真珠だと思い込んで、なんでも鑑定団に出してしまうことに!?

孔明先生は分かりやすく伝えるために、例えを敢えて大袈裟にしていますが
本題は、物事の基準や本質が解らないとどうなるのか?って話です。

相手の真意が解らなければ表面上の出来事に目隠しをされてしまい
身を滅ぼしてしまうことも!

劉禅もそんなこんなで国を滅ぼしました!

孔明先生の文霊

物事を自分のこととして認識せず、
詳細を知ろうとしないことから乱れは生じ
理解がなく、判断の基準となるものがないことから疑惑が生じる

ってことで!

情報の多い今の時代。
表面上の出来事を目隠しする情報も溢れているので
本当に大事なことは人任せにせず
自分ごととして捉えて
色々な角度から理解していきたいですね!

それにしても、魚の目と真珠って・・・思わず納得!
千八百年経っても分かりやすい例えですね♪

孔明先生に習って、本質は全然違うのに見た目が似ているものを
身近なものやニュースから考えてみるのもまた、一興です!

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