三国志英雄の忠義心に多大な影響を与えた(であろう)介子推は人間なのか?

諸葛流文霊想作家の玄子(げんし)です。

*文霊(あやだま)とは?
時代、時空、国境を越えて読む人の心を動かす力を持っている字には(魂、精神)が宿っている
という概念から生まれた玄子の造語です。

暫時、春秋時代x三国志x孔明先生の文霊のコラボでお届けします。

目次

公正無私の介子推は人間なのか?

第十四話は重耳がついに、国主となるお話。

日本語での流れはウィキペディアをご覧あれ。

19年間、重耳の諸国放浪生活に付き合って生死を共にした臣下たち。

ここまで来たら、重耳が国王になる瞬間をその目で見届けたいであろうに・・・

放浪生活で使っていた寝袋はもう必要ないのと同じで、放浪生活を支えるのが私の仕事。
重耳様、さよ〜なら〜って去っていく人や

重耳に忘れられ、年老いた母者とともに山の中に身を潜め
「重耳様が王になるのは天命。天の功績です。
その天の功績を私が奪うことが出来ましょうか?」
他の仲間のように功績をアピールして恩賞を受けることを良しとしない介子推

(春秋時代だけど)戦国の乱世にそんな人がいたとは!
清廉潔白すぎて神様なんじゃないだろうかとさえ思いました。
古代中国って、神様が人間の体を借りて降臨したんじゃ??って人物、多いですよね。。。

三国志の英雄達に忠義や清廉さとはなんなのか?考えさえ、与えた影響はかなり大きいのではないでしょうか?

逆境を支えた無償の忠義

介子推は自身の脚を削り、命を削って重耳を支えました。
それなのに、天の功績だからと、、、普通は言えない。やっぱり神ですね。

ドラマの中で、介子推は恩賞ではなく重耳が自分を思い出してくれたことに喜びを感じ、重耳に会うべく下山を始めます。
それに対して母上が「これで恩賞がたくさんもらえる」と喜んだものだから!
御子息、再び動かざること山のごとし。

「それって、今出て行ったら恩賞目当てで山に身を隠して、
恩賞を釣り上げて下山したと思われるってことではないか!」と。

介子推はあくまでも、重耳に人生と命を尽くしたかっただけ。
重耳が天命にそって生きることを純粋に望んでいただけ。
出世や野心とは無縁の世界の人だったのです。


介子推のおかげで、国主になれた、ありがとうって一言が聞きたかっただけなのかもしれません。

・・・なんて純真すぎる忠臣。

ここまで穢れなき忠義心が三国志英雄達の中にも脈々と受け継がれていったんだなと思うと・・・

現代の忠義心を疑って面白おかしく上から目線で議論する三国志観は無理だなと改めて思いました。
なのでこのサイトも介子推のように純真な気持ちで三国志が好きな方に向けてお届けしています。

孔明先生の文霊(あやだま)

 

重耳は介子推を忘れてしまったこと、蔑ろにしてしまったことを心から悔いました。
やっと念願の国主の座につけて、毎日忙しくて、つい、忘れてしまったのです。

これって私たちもよくあること。
その時は心から感謝していても、つい、忘れてしまうことが・・・

そうならないように、というのが今日の文霊です。

 

どんなに小さなことでも感謝したこと、
有り難いと感じたことは

忘れないよう、書き残して記憶しよう

感謝の記憶が忙殺される前に

書かなくても絶対に大丈夫ってことでも、人間に絶対はありません。
今はスマホを持ち歩く時代。
備忘録的に書いたり
或いはSNSで発信したり。
色々な書き残し方があります。

特に、「やってくれて当たり前」のことをしてくれている人に対しては
日頃から感謝の気持ちを大事にしていきたいですね。

重耳は介子推の功績と、自分自身の不甲斐なさを忘れぬよう
後世にまで伝えるよう、介子推親子が亡くなった綿山を介子山と改名しました。

介子推のお墓は今でも健在です。

中国のサイトより拝借しました。
いつか、お墓参りにいきたいです!!!