天の器を持つ重耳に学ぶ寵児の心得

諸葛流文霊想作家の玄子(げんし)です。

*文霊(あやだま)とは?
時代、時空、国境を越えて読む人の心を動かす力を持っている字には(魂、精神)が宿っている
という概念から生まれた玄子の造語です。

暫時、春秋時代x三国志x孔明先生の文霊のコラボでお届けします。

目次

重耳は寵児

第十三話は重耳とその仲間たちの悪戦奮闘を綴ったお話。
紹介文はウィキペディアにお任せ

ちなみに重耳を演じている俳優さんは「元祖版三國演義」で郭嘉様を演じた方です。

四十三歳で国を出てから異国で暮らし、家庭もあって平和な日々を・・・過ごさせないのがこの時代!

辛くて長い放浪の旅。詳細はドラマをご覧あれ〜。

逃げるならさっさと逃げればいいのに!!重耳、ちょっと腰が重いタイプか?とも思いましたが
今の時代でも、定年を迎えて余生を過ごすような後期高齢者と呼ばれる年齢に差し掛かった重耳。

もう逃亡生活は嫌だ、静かに余生を送って逝きたいと願う気持ち、納得です。

それでも!仲間たちや重耳を愛した女性たちは彼が晋の国に返り咲くのが天命だと信じて疑わず
命を絶ったり、(絶たれたり)
飢えを凌ぐために自身の脚を切り裂いてスープにしたり。。。
その忠臣の話はこちら

 

「そこまでするんですか?」
と心中、叫ばずにはいられないくらい、重耳のためにみんな、命を惜しまないのです。

よほど人徳のある方なんでしょうね!

自分の道を見つけるまで

紆余曲折を経て、自分の心の弱さや、年齢だけが増えて業績を残せないままの過去の自分を乗り越えて
安泰を望む普通の人間の感覚を超越したとき、重耳は覚悟を決めました。

後世の人間的には、重耳は放浪しても志を失わず覇者になった人ってイメージが強いですが
ドラマでは、同じ一人の人間として、だったら
彼を信じる忠臣よりも、
「もう、ここで十分だよ」って重耳の言動の方が自分ごととして理解できるかも。

人間、辛い体験をしたからといって誰でも、それをバネにできる訳ではないし
自分にとっての歩くべき道ってなかなか見つけられないもの。

放浪しながらも、彼を見捨てず覇者となる器に育て上げた忠臣には本当に頭が下がります。

重耳と玄徳公に共通する天下の器

 

そしてこの壮大な前例があるならば!!

玄徳公が放浪を続ける主君であっても
関羽殿、張飛殿、趙雲殿ほどの天下の豪傑が付き従ったのは納得です

曹操陣営で不自由のない厚遇を受けても心を動かさなかった関羽殿。
関羽殿にとっては放浪の辛い旅をしてでも玄徳公といられることが
本当に幸せなんだろうなって感じました。

最近、冷めた感じで歴史を見るのが巷では多く見受けられますが
私は現代人の価値観で見るよりも
三国志の英雄たちに影響を与えた春秋戦国時代の英雄たちの生き方に学んだほうが
ますます、三国志愛も熱くなって理解も深まります。

私のこの捉え方が受け入れられないと思われた方は、私とは価値観が合わず、縁がないだけなので、お気になさらず。

一国の客将にすぎない放浪の将軍だった玄徳公を曹操閣下が「英雄」といったのも
玄徳公一人の人徳だけではなく、自分が惚れ込んでいる関羽殿や張飛殿ほどの人物が慕いまくっている、、、
人間力だけで、ここまで人を惹きつけることができるとは、って警戒するのも無理はないかも。

孔明先生が玄徳公の三顧の礼に応えたのも、そんな人間的魅力があったからこそ。

義兄弟だけではなく、領民まで一緒に放浪の旅に出ちゃうんだから、そりゃもう尋常ならぬ人徳です。

 

孔明先生の文霊(あやだま)

一緒にいることが自然だと感じられる相手こそ尊重し、大事にしながら

「人の和」という土台を築くことができれば

いざという時になっても孤立無援になることはないだろう

ストレスが溜まりやすい現代生活ですが
鬱憤を身近な人に八つ当たりして晴らすことなく
相手の立場や、気持ちを思いやれる優しさを大事にして生きたいですね。