年齢を言い訳にするのか、起爆剤にするのか?

諸葛流文霊想作家の玄子(げんし)です。

*文霊(あやだま)とは?
時代、時空、国境を越えて読む人の心を動かす力を持っている字には(魂、精神)が宿っている
という概念から生まれた玄子の造語です。

暫時、春秋時代x三国志x孔明先生の文霊のコラボでお届けしています。

 

63歳から始める天下経営

 

今回の内容は重耳が斉の桓公に続き春秋時代第2の覇者になったお話。

その覇権を決定づけたのが 城濮の戦い

戦の内容に関してはウィキペディア↑をご覧くだされ。

この戦以外でも重耳は、放浪時代に自分に嫌な思いをさせた恨みをしっかり晴らしています。
相手が立場的に弱くても、非道い仕打ちを受けた方は忘れません。
重耳のように数年後、立場が逆転することも大いにあり。

重耳は63歳(中国は数え年なので日本で言ったら62歳)で国主に返り咲きました。
現代は、若いうちにたくさん稼いで、老後は悠々自適〜って生活に憧れる風潮がありますが
重耳は63歳からが本番!!!

画像は拝借いたしました

人生、諦めなければ何歳になっても遅いってことはないのです!

 

髀肉の嘆があればこそ

活躍する場がないと嘆く「髀肉の嘆」

玄徳公は四十代後半に差し掛かっても一国の客将に過ぎず髀肉の嘆を思わず溢してしまいましたが・・・

それから20年足らずで一国の皇帝になっているのです!

普段、口数の少ない玄徳公の嘆きは、愚痴ではなく己への不甲斐なさからくる
不完全燃焼のまま生き場を失った熱い志の嘆きでもありました。

だからこそ、相手が20歳年下だろうが三顧の礼を厭わず孔明先生に誠意を尽くしました。

孔明先生もまた、危急存亡な玄徳公の志の熱さに打たれ出廬しました。

ネット時代よりも個人情報の漏洩と拡散が半端ない三国志の時代^^;
玄徳公が髀肉の嘆を発したことも知っていたであろう孔明先生。
本気の志だと感じたからこそ、感動し、全身全霊尽くすことになったのです。

「こんな歳だから髀肉がついても仕方がない」ではなく
「志はあるのにこの歳まで活躍できず、髀肉がついて情けない!」と志を失わなかったからこそ
玄徳公は皇帝になれたのです。

年齢を言い訳にするのか、起爆剤にするのか?

それだけでも、人生最後までどう生きるのか?可能性が変わってきます。

若さが持て囃される昨今。
年齢を重ねるたびに、生きる価値や可能性が小さくなっているような錯覚を覚えがちですが
そんな時は!

玄徳公や重耳を見倣って、人生ここからが本番!!!
髀肉の嘆を本気で吐いたら、今できることから始めて生きませんか?