上手く行く、いかないに関係なく行動できますか?
諸葛流文霊想作家の玄子(げんし)です。
上手く行く、いかないに関係なく行動できますか?
孔明先生は、北伐に際して後出師表で
北伐が成功するかどうかは分かりません。
が!だからと言って北伐に乗り出さなければ王業は滅亡してしまいます。
勝てるかどうか分からないからと言って何もせず座して滅びるのを待つだけで良いのなら
先帝(玄徳様)は私に後事を託されることはなかったでしょう。
と述べています。
孔明先生が玄徳公の三顧の礼に応えて出廬してから五丈原まで全身全霊、忠義を尽くして蜀を支えられたのは覚悟があったから。
そんな覚悟をさせた玄徳公もさすがです。三顧の礼を尽くした覚悟が孔明先生に伝わったのは言わずもがな。
物事が長続きする人としない人の違いは、自分で決意しているか否か。
後世の人間は、すでに北伐の結果を知っているから
「勝ち目のない戦だったのに」と出師を議論できますが、それはあくまでも結果論。
そして、孔明先生も述べているように大事なのは出師をする意義。
覚悟を決めて宿願である北伐を果たすこと。
もし孔明先生が蜀国にとっての宿願をそっちのけにしてノホホンと余生を送っていたら・・・
私は孔明先生にここまで人生と情熱を懸けて尊敬愛することはありませんでした。
孔明先生を慕って中国にまでいかなかったと思うし、そもそも、三国志がここまで後世の人間に愛され受け継がれていたかも謎です。
孔明先生が北伐の拠点を置いた漢中ではやはり、そんな孔明先生の忠義心が深く、畏れながら愛され続けています。
なので私が発信している内容も、そんな孔明先生が大好き!って方限定でお届けしています。
大事なのは、結果ではなくそこに至るまでの生き方。
目に見える結果や進歩が出なかったからといって、
そこに至るまでの志や想いといった美趣が損なわれることはない
とも孔明先生は文霊にしています。
北伐の結果は、私にとっては敵将の司馬懿が孔明先生を評した
「まさに天下の奇才である!」
この一言に全て凝縮されていると思います。
私が三国志で大事にしているのも、そういう目には見えないけど熱い生き方
結果云々よりも魂にドカンとくる彼らの生き方です。
なので。結果ありきではなく、本当にやりたいことであれば
上手く行くかいかないかではなく
自分に覚悟はあるのか否か?
自分と向き合い、話し合って決めて生きたいですね。