孔明先生への尊敬愛に生きるってことは、こういうこと

諸葛流文霊(あやだま)想作家の玄子(げんし)です。

玄子(げんし)は2001年3月21日、成都留学時に古琴の縁があって知り合った道士さんに授かった字です。

私にとって、私の人生を大きく変えた衝撃の1日。
あの日がなかったら、今日の私はいない、玄子(げんし)はいなかったのです。

詳細は拙著「三國志游學記」に譲りますが、道士さんたちとの縁をもたらしてくれた古琴は、孔明先生にお近づきになりたくて始めました。

ドラマ三国演義で孔明先生や周瑜殿が古琴を奏でていたシーンが切っ掛けでした。
三国演義を虚実云々議論の対象としか見なかったら、古琴が気になることはありませんでした。

古琴が気になっても、成都という巴蜀文化が根付く古都にいなければ古琴を学ぶことはできませんでした。

古琴が縁で道士さんたちと知り合っても、私の古琴のレベルではその日限りの挨拶が関の山でした。

私と道士さんが義兄弟になるほど意気投合したのは、「なんで成都に留学したの?」と聞かれた時に

「あの世で孔明先生に会いたいから!
そのためにも古代漢語や当時の文化や常識を身につけたいので中国語や古琴を学んでいます」

ドン引きされるのを覚悟で本音を情熱と共にぶちまけたら
「気に入った!!!」
一気にそれまでのギコチナイ初対面どうしましょう?って空気は消え失せ、感動の空間が広がっていき

「今日から、兄妹だ!」ってことで玄子という字とともに、友情を超えた不思議な縁をいただき今日に至るのでした。

孔明先生への尊敬愛に生きるってこういうこと。

机上で揚げ足取り議論や重箱の隅をつつくような上から目線議論をするのではなく
ただただ、純粋に後世の人間としてではなく
同じ一人の人間として敬意を持って大好きな英雄たちに学ぶ。
学んだことを自分の実生活で体験、活用する。

それが諸葛丞相私淑らぶ

理解、共感、支持してくれる方はあまりいないだろうなとは思いますが
私は私の価値観に理解共感してくれる方に向けて発信していきますのでよろしくお願いします♪