三国時代と弥生時代、どっちが昔!?
諸葛孔明先生を人生の師とお慕いしている玄子(げんし)です。
今日は旧暦8月23日。
羅貫中が「三國演義」の中で孔明先生の命日であると明記してからずっと、20世紀まで日本でも8月23日が孔明先生の命日とされていました。
ところが最近になって、孔明先生の子孫が暮らす諸葛村では「8月28日」こそが命日だと提唱。
う〜む。今となっては確かめようがない、、、せめて陳寿が明記してくれていたらなぁ。
孔明先生への個人的な上から目線評価を書く余白があるなら命日を書かんかい!ってぶっちゃけ思います。
孔明先生の弟、諸葛均殿の字とか、陳寿の所感よりも書いて欲しいことがまだまだ沢山あるけど、、、
何しろ三国時代。
日本で言ったら弥生時代。卑弥呼とか気が遠くなるくらい大昔の話。
伝説上の人、ではなくしっかりと生きた人だと三国志の英雄たちを史書に書いてくれただけでも陳寿には感謝せねば、、、。
こんな感じで陳寿のツボを抑えたいですな。
いろいろな想いを込めて、、、( ̄∀ ̄)ムギュ〜〜っと。
それにしても三国志だととっても身近なのに、卑弥呼の時代となると気が遠くなるくらい大昔に感じられるのは私だけでしょうか?
飛鳥時代とか気分的には中国の殷王朝くらい遥か昔って気がします。
それもこれも、日頃の親しみ方、距離感、関係性が大きいですよね。
卑弥呼の時代が好きな人にとっては私とは真逆の印象を受けるかも知れないし。
でも、どちらの感覚がおかしい、へん、正しいってことではなく。
そんな時にこそ自分の感性ってのが分かるわけです。
なので他人と比較して「私の価値観、感性、おかしい?」って思ったら!!!
そこにこそ、自分だけの「ツボ」が埋め込まれているかも!?
大事なことに対する価値観って人それぞれ。
人の価値観だけ気にしていては自分が本当に大事にしたいこと、大切なことを押し殺してしまわぬよう
自分にとって大事なこと、大事にして生きたいですね!
玄子(げんし)