トラブルに遭遇した時メッキが剥がれるか、原石が磨かれるか?その違いとは?

諸葛流文霊想作家の玄子(げんし)です。

*文霊(あやだま)とは?

時代、時空、国境を越えて読む人の心を動かす力を持っている字には(魂、精神)が宿っているという概念から生まれた玄子の造語です。

孔明先生の文霊はとても奥深く、普通に兵法書として読み流すにはあまりにも、もったいない!
ので!!「現代生活で活用するには?」という私独自の視点と、孔明先生の人柄や魅力を取り入れながらから文霊を想作しています。

今は、便宜十六策に学んでいます。
全文ではなく、一部抜粋しながらお伝えしていきます。

あくまでも現代生活で活用するには?という視点で、尚且つ私だったらこんな感じに想作するよって心譯をお届けします。

前回の文霊 本立則末正矣 の続きからです。

治國 第一*その4

夫本者倡始也 末者應和也

 

今日の心譯

「本」とは物事の始まりであり「末」とはそれに呼応したものである。

「本」となる根幹の大切さを繰り返し伝えています。
才能を開花させたいのなら、上面だけではなくその本となる、始まりの基本を大事にしなければなりません。

料理も語学も音楽も基本をすっ飛ばして、上辺だけ真似ても基本がないとブレまくります。
いうまでもなく自分軸というのも、自分自身の根幹となる「本」を蔑ろにして
上辺だけキラキラしても虚しいだけ!

人間力の基盤ができていないので、ちょっと何かあるとメッキはすぐに剥がれてしまうのです。
基盤があれば仮に失敗しても、その状態からどうするか?基本に立ち返って応用できるので
「さすが!!違うね!」とメッキではなく、原石に磨きをかけることができるのです。

玄徳公が何度、居城を奪われても関羽殿や張飛殿、趙雲殿が見捨てなかったのは人間力の「本」を大事にしていたから。

だからこそ、名門の諸侯が次々と滅亡していった群雄割拠の時代を生き延び、一国の客将から一国の皇帝になれたのです!

言うなれば蜀漢の「本」は玄徳公。
そんな玄徳公によって英雄たちの魅力と才能に磨きがかかり、それぞれの「花」を咲かせることができたのではないでしょうか?

ってことで。
自分の始まり、根幹となる「本」地味だろうが、他人に気付かれないことだろうが、目には見えないことだろうが関係なく!
大事にして生きたいですね!

玄子(げんし)