志の内訳
諸葛流文霊想作家の玄子(げんし)です。
*文霊(あやだま)とは?
時代、時空、国境を越えて読む人の心を動かす力を持っている文字には霊(魂、精神)が宿っているという概念から生まれた玄子の造語です。
孔明先生の文霊はとても奥深く、普通に兵法書として読み流すにはあまりにも、もったいない!
ので!!「現代生活で活用するには?」という私独自の視点と、孔明先生の人柄や魅力を取り入れながらから文霊を想作しています。
前回の文霊 何患於不濟 の続きからです。
今日の文霊*誡外生書14
若志不強毅 意不慷慨
徒碌碌滯於俗
今日の心譯
もし志が強く毅然としたものではなく
義憤に満ちた想いがなければ
漠然と生きているだけで、ボケーっと何もせずにいては
つまらない世間体に囚われた人生に甘んじてしまう
誡外生書の冒頭で、高尚で遠大な志を抱け!とありました。
コロコロと日替わりする志ではなく、揺るぎない志を抱け、と。
では「そんなのが別になくても〜」って人はどうなるのか?
何があっても揺らぐことのない断固とした強靭な志がなく、
一本気で他人に諂うことのない、強い信念に満ちた剛直な想いがなければ
「これ」と言ったことのない、生きた甲斐のない人生に留まってしまいます。
これって、言い方を変えれば
何があっても揺らぐことのない、断固とした強靭な志と
その志を燃やす強い信念にもちた剛直な想いがあれば
我が生涯に一片の悔いなし\(ー ー)Byラオウ って人生を送れるのに、、、ってことですよね。
志は即席で見つけたり、決められたりするものではありません。
誰に何を言われようとも譲れない想いや
人生と情熱を懸けて追求しているたった一つのこと
それを人生の根幹、人生幹にすることで志となります。
どんなに素晴らしい志があっても行動が伴わないのでは意味がありません。
まずは、何が何でもやらずにはいられない、行動せずにはいられない
たった一つの好きなことをトコトン追求してみることから始めてみてはいかがでしょうか?