孔明先生が目に見える結果よりも大事にしたこととは?

諸葛流文霊想作家の玄子(げんし)です。

*文霊(あやだま)とは?

時代、時空、国境を越えて読む人の心を動かす力を持っている字には(魂、精神)が宿っているという概念から生まれた玄子の造語です。

孔明先生の文霊はとても奥深く、普通に兵法書として読み流すにはあまりにも、もったいない!
ので!!「現代生活で活用するには?」という私独自の視点と、孔明先生の人柄や魅力を取り入れながらから文霊を想作しています。

前回の文霊 雖有淹留 何損於美趣 の続きからです。

今日の文霊*誡外生書13

何患於不濟

濟:成就

今日の心譯

願いや願望が成就しなかったからと言って
(高尚な情操や志は損われないのだから)
何を患うことがあろうか?

孔明先生は願いや願望を成就させるべく積み上げてきたそれまでの「美趣」、心のあり方こそが大事だと伝えています。

どう考え、どう行動し、どう生きるか?

孔明先生は志半ばにして五丈原から玄徳殿たちが待っている天に還りましたが、だからといって孔明先生の軌跡と偉業が損なわれることはありません。

孔明先生を始めとする三国志の英雄たちが今でも中国内外を問わず敬愛され続けているのは、まさに生き方そのものに惹かれているから。

これからどう生きたいか?自分自身の人間力をどう高めるか?

そんな心のあり方を人生幹とするには、三国志の英雄の生き方に私淑する道がお勧めです。
(このサイトはあくまでも孔明先生を始めとする三国志の英雄が大好きな人に向けてお伝えしています)

三国志を読んで終わりから、読んでからが始まりの時代にステージアップして
死ぬまで三国志して生きませんか?

ということで

目に見える結果以上に
目には見えない
心の在り方を意識して高めよう!

心譯*玄子(げんし)

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