自分の心が分かってもらえず自暴自棄になったら

諸葛流文霊想作家の玄子(げんし)です。

*文霊(あやだま)とは?

時代、時空、国境を越えて読む人の心を動かす力を持っている字には(魂、精神)が宿っているという概念から生まれた玄子の造語です。

孔明先生の文霊はとても奥深く、普通に兵法書として読み流すにはあまりにも、もったいない!
ので!!「現代生活で活用するには?」という私独自の視点と、孔明先生の人柄や魅力を取り入れながらから文霊を想作しています。

前回の文霊 除嫌吝 の続きからです。

今日の文霊*誡外生書12

雖有淹留 何損於美趣

美趣:高尚な情操、想い、志

今日の心譯

 

前回までの文霊のように、

忍耐強く、謙虚に寛大な心で生きていくことは容易ならぬこと。

なかなか、思うような進歩や、目に見える結果は感じられないかもしれません。

が!!!!!

忍耐強さや謙虚さ、寛容さと言った高尚な情操になんの支障があるだろうか?と言うのが今日の大意。

停滞しているように感じても、それでも日々の生活で培っている謙虚さや忍耐強さ、寛容さや
人間力、人間性と言った人徳が損なわれることはありません。

私は個人的にこの「何損於美趣」の文霊に救われました。

自分自身のことだけではなく、大事な友達に対して誠心誠意付き合っても
相手がその気持ちに答えてくれるとは限りません。

「私だけ、馬鹿みたい」って思うこともザラです。
なんで私だけ・・・って怒りがこみ上げてくることもあります。

が!!!

相手が自分に対してどうであろうとも。
少なくとも自分は後悔することないくらい、心を尽くした。
そうすることで身についた寛容さや忍耐強さ、相手を想う気持ち、といった精神的な「美趣」は
壊れたわけでも、貶されたわけでも、無駄だったわけでもありません。

自分に備わり始めているのです。

ここで、「自分だけ損してやってられない!」ってそれまでの自分を卑下してしまったら
それこそ、それまで積み上げてきたものは簡単に損なわれてしまうのです。

なので。相手の対応がどうであれ。
それはその人自身の人間力、個人の自由ってだけで自分には関係のないこと。
もう付き合いたくないなと思ったら自分を傷つけてまで無理に頑張る必要はないし、
相手と同じ次元に降りて言い争ったり喧嘩する必要もありません。

一度きりの、人生。
どうせなら「いいな」って思う人と楽しい時間を過ごしたいですよね。

時間が経てば、かつて分かり合えなかった人とも分かり合えるかもしれないし。
時間が経っても分かり合えない人に無理に合わせる必要もありません。

「いいな」って思う人とのご縁は、自分の思いや心が理解されず自暴自棄になりそうになっても
それでも自分を見棄てずに引き続き人間力を高めることで
それまでは縁のなかった素敵な仲間と知り合えます。

心が折れそうになったら、
それまで頑張ってきた自分を思い出して、褒める!

自分の積み上げてきたこと、頑張ってきたことは無駄になっていない!
目には見えない人間力になっている!!
ここで諦めたらそれこそ、積み上げてきたものが無駄になってしまうけど
積み上げてきた大切なことは、奪われてもいなし、損なわれてもないから大丈夫!

誰かに好かれるための自分になる前に
まずは自分が好きな自分になれるよう、自分の「美趣」を大事に育てながら人間力を高めて生きたいですね!