心身ともに身軽ですか?
諸葛流文霊想作家の玄子(げんし)です。
*文霊(あやだま)とは?
時代、時空、国境を越えて読む人の心を動かす力を持っている文字には霊(魂、精神)が宿っているという概念から生まれた玄子の造語です。
孔明先生の文霊はとても奥深く、普通に兵法書として読み流すにはあまりにも、もったいない!
ので!!「現代生活で活用するには?」という私独自の視点と、孔明先生の人柄や魅力を取り入れながらから文霊を想作しています。
前回の文霊 絕情慾 の続きからです。
今日の文霊*誡外生書4
棄疑滯
棄:やめる、放棄する
疑滞:判断がつかない、難しく分からない精通していないこと
今日の心譯
わからないことや、精通していないことにいつまでも拘らない!
ってのが意訳です。
あっという間の人生。
くだらないことに時間を割いているほど暇じゃありません。
三国志の英雄たちはすっごい人たちばかりですが、だって人間だもの!
それぞれ得手、不得手ってありました。
解らないことがあるのも、精通していないことがあるのも当然です。
その解らないこと、一つ一つに一々拘って重箱の隅を突くレベルでじと〜っと執着したらどうなるでしょうか?
時間は経っても、何一つ進歩のないまま終わってしまいます。
相手の気持ちをどんなに考えても解らないのに、ずっと執着していては進む関係も化石になってしまいます。
例えば!
三顧の礼で孔明先生が仕官してくれるかどうか?なんて本人に会って話さないと解らないこと。
「どうなんだろう?」って考えまくっても何もしなければ、歴史も人の気持ちも動かないのです。
だったらどうするか?
考えるな、感じろ!そして動け!!ってことです。
今の時代、1年後どころか1ヶ月先もどうなるかわかりません。
それなのに考えてもラチのあかないことに苛まれたり
不安や悩みに支配されて今ある幸せや楽しさを既読スルーしていては
悩みや不安だけに押し潰される人生になってしまいます。
「これは考えても仕方がない!」と思ったならそれを棄てる勇気も必要です。
何でもかんでも抱え込んでしまっては身動きが取れなくなってしまうので
心身ともに動ける身軽さを維持してくださいね!
ということで私なりの解釈はこちら
心譯*玄子(げんし)