志よりも前に抱くべきもの
諸葛流文霊想作家の玄子(げんし)です。
*文霊(あやだま)とは?
時代、時空、国境を越えて読む人の心を動かす力を持っている文字には霊(魂、精神)が宿っているという概念から生まれた玄子の造語です。
孔明先生の文霊はとても奥深く、普通に兵法書として読み流すにはあまりにも、もったいない!
ので!!「現代生活で活用するには?」という私独自の視点と、孔明先生の人柄や魅力を取り入れながらから文霊を想作しています。
今日から 誡外生書 に学びます。
今日の文霊
夫志當存高遠
存:心に抱く
高遠:志、思想などが気高く優れ雄大である様。高尚で遠大。
今日の心譯
志とは高尚で遠大な気高い心がなければならない。
孔明先生を始めとする三国志の英雄たちの生き方を見れば、義自ずから見(あらわ)る文霊ですが
志を抱く前に、まずは心!というのが注目ポイントです。
曹操閣下曰く「口には大義を唱えても、心に一致するものがなければ同志も同志ではない」と。
どんなり立派な志があっても、その実は!心では「とりあえず、ああいうふうに言っとけばOKでしょ」
って感じだったら・・・どうですか?
何こいつ!虎牢関の戦いで言ったら袁紹、袁術系だな、さては!ってことになるのです。
僕、袁紹坊ちゃん。良きに計らえ〜!
なので志、夢や目標は自分の心から湧き出るものが言語化されたものとなるのをお忘れなく!
玄徳公は「天下万民を幸せにする!」という志がありながらも客将に甘んじていました。
それでも、孔明先生が玄徳公を選んだ理由は、気高く、高尚な心がそれまでの言動に現れていたから。
だからこそ、今の状況はどうあれ、劉皇叔の志は本物だ!と信じられたのです。
これは私個人の見解ですが、、、
歴史を動かしたほどの人物の志って、自分の人生をどう生きるか?よりも
この世の中をどうしたいか?この時代をどう動かすか?って天下レベルの高遠さだった気がします。
彼らのそんな壮大な生き方が1800年以上経った今日も私たちを魅了しているのかもしれませんね。
ということで。
志(夢や目標)がないからと焦ったり、闇雲に志を探すよりも!!!
まずは心!!!
自分自身の心を大事にしてくださいね!