孔明先生の心がブレない理由

諸葛流文霊想作家の玄子(げんし)です。

*文霊(あやだま)とは?

時代、時空、国境を越えて読む人の心を動かす力を持っている字には(魂、精神)が宿っているという概念から生まれた玄子の造語です。

孔明先生の文霊はとても奥深く、普通に兵法書として読み流すにはあまりにも、もったいない!
ので!!「現代生活で活用するには?」という私独自の視点と、孔明先生の人柄や魅力を取り入れながらから文霊を想作しています。

今日の文霊

吾心如秤 不能為人 作輕重

吾が心は秤(はかり)の如く。
人によって判断基準が変わることはない。

孔明先生の秤の心とは?

今日の心譯

肩書きや、年齢によって人を見る基準が変わるのが普通ですが、孔明先生は違いました。

相手が農民でも、皇叔でも同じ一人の人間。
領地を天下の大半持っていようが、自分の領土さえ持てない客将だろうが同じ一人の人間。

上辺だけの数字や肩書き、権力の度合いによって主君を選ぶことのなかった孔明先生だからこそ説得力があります。

例え愛弟子であろうとも、命令に背いたら罰する。

孔明先生のブレない信賞必罰の精神の根幹には、人によって変わることのない秤のような心があったのです。

秤のような心って・・・言うは易く行うは難し。
ですが!人によって態度を変えない人って、信頼できますよね!

大事な場面で偏見や私情に流されそうになったら、心の中に秤を描いてみては如何でしょうか?

弁護士じゃなくても、相手を尊重できる公正さと平等さを大事にして生きたいですね!

心譯*玄子(げんし)