言論の自由よりも、生きる自由を!
諸葛流文霊想作家の玄子(げんし)です。
孔明先生の文霊(あやだま)
どんなに頭が良くても
やっていいことと、悪いこと
言って良いことと悪いことの
判断もつかないようでは話にならない
言論の自由よりも
狂気に満ちた言葉は言刃という凶器になってしまいます。
どんなに強そうに見える人、振る舞っている人も
同じ一人の人間です。
弱さを吐露できない分だけ繊細で自分の本音や弱音を吐けないだけで
「死」を持薬として誰にも悟られるによう笑顔の下に、強気な態度の裏に潜ませているのかもしれない。
死ぬことを
自薬をのむがごとくにも 我はおもへり
心いためばー石川啄木
たとえ相手が嫌いでも、気に入らなくても、ムカついても、それでも
相手の存在、人格、命を否定するのは言論の自由ではありません。
私自身、13歳の頃に毎日のようにクラスメートに言われ続けていました。
存在、人格、命に価値がないと言われ続けている自分が
親や友達に相談することなどできませんでした。
相談したら、虐められている事実を知らせたら悲しませてしまうと思ったから。
辛い想いをするのは私だけで十分だったから、、、。
虐められる側にも問題がある、自業自得だという発想が有る限り
問題があるなら虐められても仕方がないという暗黙の了解がある限り、
この世からいじめはなくならないと思います。
殺人は犯罪なのに、言葉を凶器にして人生と命を絶たせる行為は野放しになっている悲しい時代。
自分自身の言論の自由よりも、相手の生きる自由と命を第一に考えて
自分の言葉に責任を持って生きたいですね。
玄子(げんし)