諸葛流文霊想作家になるまで

諸葛孔明先生の私淑弟子・玄子(げんし)です。

*私淑とは
直接、教えを受けることはできない尊敬する人を師と仰いで、その学問や人格に学ぶこと(By孟子)です。

私は尊敬愛する人生の師・孔明先生の文霊(あやだま)を想作することで学んだことを自分自身に活用しています。

*文霊(あやだま)とは?
時代、時空、国境を越えて読む人の心を動かす力を持っている字には(魂、精神)が宿っているという概念から生まれた玄子の造語です。

今回は私の決意表明的な内容ですので興味のない方はスルーしてください。

目次

何をやっても中途半端の代名詞

私は幼い頃から「何をやっても中途半端」と言われ続けてきました。

今でも熱しやすく冷めやすい性格は自分でも認めざるを得ないほど長続きしません。

そんな私が唯一、飽きることなく熱くなれるのが三国志。

三国志が好きってだけで成都に留学をして、孔明先生に近づきたい下心?で孔明先生が愛好していた古琴を学び、そのご縁で道士さんたちと知り合い、玄子(げんし)って字をいただきました。

だから、三国志だけは特別だと、満足していたのです。

が!!!ふと気づいたら、やっぱり中途半端。

中国語も通訳レベルではない日常会話レベルだし、古琴も嗜む程度、道教文化はほとんど分からない。

何よりも、一番肝心な三国志の知識も一通り。普通。

「これ」と言って飛び抜けて秀でた才能は一つもないことに気がつき、自分の価値のなさ、不甲斐なさを痛感しました。

三国志が好きで中国へ行った、というだけで小さな世界に安堵し落ち着いてしまっていたのです。

でも今更、通訳レベルの中国語を目指そうとは思えず。

今更、人前で演奏できるほどの古琴の腕を磨こうと思えず。

今更、誰にでも分かる三国志、初心者のための三国志を伝えようとは思えず。

かと言って、マイナーで高度な三国志知識を得ようとも思えず。

思いさえも、中途半端だったと気付かされました。

唯一無二の武器は孔明先生に託されていた!

何者でもない、なんの取り柄も価値観もない自分に虚しさしか覚えなくなり、心は重くなるばかり。

でも!だからといって重くなった気持ちのまま生き続けるのは人生、もったいない!

とりあえず極められなかった自分は無視して重い気持ちは一時保留。

どんなに重い気持ち、情けない、不甲斐ない、価値のない、生きている意味のないと感じてしまう自分と向き合っても明るい兆しが出てくる材料はどこにもない。

だったら、他の人にどう思われようと、世間で必要とされていまいがなんだろうが関係なく、私が自分で「これだけは私だからこそ出来る」ってもんはないのか?

私だけが手に入れられた唯一無二の武器はなかったのか掘り下げてみたらー

あった!!!

それこそが、孔明先生の文霊(あやだま)想作だったのです。

私が孔明先生の文霊と出会ったのは、孔明先生の永眠地、武侯墓で。

三国志が史実追及だけが全てで、それ以外は邪道とか、痛いと言われ大好きな英雄たちを悪く言われるのに耐えなければいけない三国志事情に苛まれていた12年前。

「孔明先生、どうしたらいいですか?」

墓前に跪いて教えを乞いました。

すると、その後に訪れた売店で

「丞相を慕っているなら、この本を読んだ方がいい!」と勧められました。

それが、孔明先生の文霊だったのです!!!

孔明先生の言ったことや、書いた文書だけを集めた一冊。

特に兵法書は、「これ!受け取り方次第で現代生活でも使えるんじゃない?」って内容でした。

もっと嬉しかったのは、孔明先生の人柄が伝わったこと!

史書三国志、小説三国演義どちらも陳寿、羅貫中が書いたものなので第三者から見る孔明先生でした。

が!孔明先生が遺した文霊は孔明先生ご自身が書かれたもの!

これだ〜〜〜〜!!!って思いました。

気持ちだけは恐竜並みに大きくなりました(笑)

孔明先生が私に託した(ことにします)文霊。

その文霊を想作することに幸せを覚えていました。

個人出版した作品も思いの外多くの女性に共感を得ることができました。

「これで、いけるんじゃない?」

が!「そんなんじゃダメ」

世間の市場、ニーズとやらは私と孔明先生の時空愛を認めませんでした。(って大袈裟な:D

ビジネス化できないと意味がない?

私は孔明先生の文霊を人間力への活用にしたかったのですが、

三国志はマイナー(え?そうなの?ずっと好きだとマイナーって思わない(^◇^;)

諸葛孔明って知っている人少ない(え?そうなの?じゃあ知っている人だけでいよ)

とりあえずビジネスに役立たないと意味がない、需要もないと言われました。

が!私はビジネスをしていないオフの時でも人間力って大事だと考えています。

そのオフの人間力がこのコロナ禍で赤裸々になっている気さえしませんか?

そんなことは求められていない、、、?

じゃあ、私には何ができるの?

それを考えたら、ありとあらゆることが中途半端だと思い込み、自分を責めました。

私、一体、何の為に生きているんだろう?

これまでの人生が儚く無駄に思え始めました。

いつだって本陣で本気勝負!

そんな時こそ、初心に還れ!

改めて自分の人生を振り返ると、最終的に一番の目標はあの世で孔明先生に会うこと!だと魂が即答しました。

だったら、私がやるべきことは、、、

孔明先生の文霊を伝えること、活かすこと、そして後世に残すこと!

でもぶっちゃけ本当に本当に、心底、誰がなんと言おうとやりたいことほど反対されるし、本陣突撃は怖いもの。

中国留学時も最初は聖地である成都に行くことに恐れさえ抱いていました。

憧れが壊されたらどうしよう、と。

本陣を目の前に踵を返そうとしたらその時は

「三国志が好きっていうから四川大学に入学申請出して許可もらったわよ」

中国の担当者の思い込み、三国志といえば成都!ってことで運命が強引に決めてくれました。

そして私はまた本陣を前にして逃げかかっていたようです。

今度は自分で自分が腹を括って本陣に乗り込まないと、誰も何もしてくれません。

だったら、、、一度きりの人生、悔いのない選択をしよう!って決意しました。

 

諸葛流文霊想作家

こうして孔明先生の文霊を想作することに志命を尽くす!と決めた私は

諸葛流文霊想作家として生きることになりました。

孔明先生の人生、生き方、そして文霊に学んだことを中心にお伝えして生きますので

理解、応援していただける方とのご縁を熱烈歓迎いたします!!!

改めて宜しくおねがいします!

玄子(げんし)

次の記事

三国演義の冒頭