この友情、期限切れ!?って思ったら
三国志作家の玄子(げんし)です。
かつては「一を聞いて十を知る」くらい、言葉の中に籠めた思いや気持ちを汲んでくれた人でさえ、その後の経験や環境によって、何をどう伝えても、全く伝わらなくなってしまった、、、、ってことありませんか?
目次
知音の起源と期限
一度きりの人生で、知音(自分のことを理解してくれる親友)と呼べる人は何人いるのでしょうか?
その前に知音って何で知音と書くのか?どんな背景があるのか興味があったら
知音の語源となった琴仙・伯牙の物語を無料で読む
墨子も登場する中国の小説をベースにした物語です。
伯牙はそれまで人生を共にしてきた琴を断つことで子期との友情を後世にまで遺しましたが、そんな人って稀です!
中国史上、伯牙さんだけ!だからこそ、今日まで語り継がれているのですが普通は「知音!」と思っても、その後の生活環境や、経験の違いによって価値観も見える景色も変わってしまいます。
「ああ、変わってしまったなぁ〜」って、友人の変わりように驚いたり、悲しくなったり、虚しくなったりするって、残念ながら、よくあることです。
そしてきっと、知らず知らずのうちに、自分も変わっている。
相手も、きっと「ああ、変わってしまったね」って思っているかも。
そうなると、知音と巡り会えたとしても、その関係が永遠ではなく、期限があるってことに気付かされます。
恋愛のゴールは結婚じゃないのと同じ。
天も地も人も目には見えなくても、刻々と変わっているのだ!!
って、曹操閣下が言ってたよ!( ̄▽ ̄)
三国志に学ぶ「違うな〜」って思った時の身の振り方
三国志でも「昔はよかったのに、、、」って主君を見限って去って行く人は珍しくありません。
世間や後世の人に何を言われようが、合わないもんは、合わない!
昔はこんな人じゃなかったんだよ!この悲しみ、分かんないだろうな〜って葛藤しながらも、
*自分を理解してくれる人に尽くしたいから、、、と新たな主君のもとでその才能を開花させたり
*このままじゃ、民衆が苦しむだけ、、、と裏切り者呼ばわりされようが、国をしっかり治めてくれる人に未来を託したり
自分から距離を置いたり、それまでの関係を断ち切っています。
これって、勇気のいることですよね。
付き合いが長ければ長いほど、昔は良かったと思えば思うほど。
嗚呼、、、、もう、無理、、、って感じたら、やっぱり昔と同じように本音で接することさえ出来なくなります。
言いたいことを、言いたい放題、感情に任せていうのは本音とは違うし。
無駄に傷つけてしまったら、そんな自分への罪悪感でますます、身動き取れなくなるし。
たまに、本音を覗かせて、あの日の知音が戻ってくることを願っても、心どころか、表面的にも届いていないと察した時、季節が変わって、それまで愛でていた花がすでに咲いていないことに気付く、、、。
言いたいこと、伝えたいことを言っても、既読スルーならぬ、既聞スルーされるなら、勇気を出してまで大事なことを伝えなくてもいいかな、どうせ、、、聞いてくれないし!
ってことで、官渡の戦いでは多くの有能な人物が袁紹から曹操軍へと寝返りました。
どこまで自分を理解してくれるのか?
どこまで相手を理解できるのか?理解したいのか?
って人間関係を続ける上での鍵となります。
覆水盆に返らずか、覆水降って地固まるか?
距離を置いたり、連絡が頻繁じゃなくなることは悪いことではありません。
が!その直前は覆水盆に返らずになるのか、何らかの拍子に再会した時に、昨日の続きって感じで何事もなかったかのように、それまでの空白を埋めるかのように前にも増して「心交」を深められるか?の決め手になります。
もし、もう二度と会わなくてもいい、今生の別れ!って覚悟があるのなら、たとえかつては知音だった相手を傷つけてでも、もう関わりたくない、と伝えなければなりません。
でも、もし、そうじゃないのなら、こちらから連絡を控えたり、接触時間を減らしたり、と言葉ではなく、時間を使って距離を置くようにします。
そうしないと、仮に数年後「あの時はごめんね〜」って言われても、傷つけられた方は、もう二度と同じ轍は踏みたくないって身構えているので、表面上は普通にやり取りができても、本音なんて到底言わないし、心の中では覆水盆に返らず、知音耳を塞ぐ、という状態になってしまいます。
では、心を同じくする仲間や同志はどうやって見分ければ良いのでしょうか?
三国志の文霊(あやだま)
今日の文霊は、曹操閣下のお言葉。
同志も同志ではない!!!
もう、これに尽きます!
心に一致しているかどうか、は行動を見ればわかります。
長いけど短い人生。
一緒にいたい、一緒にいて楽しい、学ぶことが尽きない、自分も成長できる!
そんな人との縁を大事にして生きたいですね!