読んで終わりじゃ勿体ない!三国志で人間力を高める方法

玄子(げんし)です。

三国志を読んでも面白かったっていう人もいれば
そうじゃない人もいます。

三国志を読んで人生が変わった人もいれば
時間の無駄だったと思う人もいます。

三国志を読んで成長する人もいれば
全く変わらない人もいます。

今回は三国志を読み物として終わらせず
人生幹にする方法をお伝えしますね。

 

三国志を人生幹にする方法

先ず大事なのは1800年もの時空を越えているとは言え同じ一人の人間。

そんな彼らと縁や価値観が合うかどうかって大きいですよね。

三国志を読んで面白くない、時間の無駄だったって人は
ただ単に、縁が無かっただけ。

今後の三国志との関わり方としては
縁が合って楽しんでる人の邪魔をしなければそれで充分です。
無理に関わる必要はありません。

では、三国志を読んで面白いと思ったけど、それだけ。
三国志は読み物だと思っている人が
三国志な人生を送るにはどうしたら良いのでしょうか?

それは、三国志の英雄たちに学んだこと、感じたことを
「ふぅん」で終わらせず、他人事として読み流さず謙虚に学ぶ!!!
どう学ぶのかと言えば、実際に三国志英雄の行動を取り入れてみる!

私が三国志の英雄と人生を共にしていられるのも
歴史上の人物と、後世の人間って立ち位置ではなく
同じ一人の人間として学んで、自分なりに自分の生活に取り入れているから。

一方、三国志を何度読んでも全然変わらない人もいます。
三国志は好きなんです。漫画とかドラマとか。

でも物語の中の出来事、としか捉えていないので
三国志を読む前と読んだ後、何一つ変わっていません。

勿体ないなぁって思います。

たとえば、三顧の礼

今まで、どんなに優秀な人でも、相手が
年下だから、部下だから、女性だから、家族だから、子供だから、、、

○○だからって上辺だけの理由だけで
頭を下げて教えを請うことはもちろん、感謝することも
活躍することさえ妬んで邪魔してしまうなら

二十歳も年下の孔明先生に三顧の礼を尽くした
玄德公を見倣ってみる。

ここで、「玄德殿はいいよ、相手が孔明先生なんだもん」
とか屁理屈を言っているようでは三顧の礼に学んだとは言えません。

玄德殿だって、三顧の礼を尽くしている時に関羽殿や張飛殿に言われました。

「相手がどこの誰だか解らない若造ごときにそこまでしなくても」
「才能があるかないさえ解らないのに」などなど。

ここでもし、玄德殿がその言葉に従っていたらどうなっていたでしょうか?

玄德殿の人生も、中国の歴史もあんなに飛躍することはありませんでした。
三国鼎立はあり得ませんでした。

それでもまだ、自分よりも目下(と思っている)人に対して
教えを請うたり、活躍の場を与えたり、礼を尽くすことは出来ませんか?

孔明先生の文霊(あやだま)

 

人として驕りがあってはならない。

驕りがあっては礼を失ってしまう。

礼を失ってしまえば人心は離れてしまい

人心が離れてしまえば、多くの人が離反してしまう。

 

原典*孔明先生著『心書』
心譯*玄子

三顧の礼を尽くした玄德殿が得たもの

三顧の礼を尽くした玄德殿は、
肩書きや地位、年齢に囚われず礼を尽くせる人と認知され
何よりも、天下三分の計という気宇壮大な構想と、
それを実現するには必要不可欠な孔明先生を得ることが出来たのです。

いうまでもなく、三顧の礼を尽くしたことで謙虚な人と知られた玄德殿の元には
その後も、多くの英雄が競うように集まってきました。

自分の方が年上なのに、先輩なのに、上司なのに、親なのに、、、って
憤りはひとまず、こらえる。

きっと、三顧の礼にお供をした関羽殿や張飛殿って
こんな気持ちだったのかも、、、ってさえ思って想像力で楽しむ。

そうすることで、三国志の英雄との時空距離が縮まり
彼らの生き方に共感しながら学んでいくことが出来るようになります♪

せっかく出会えた三国志。
読み物、として終わらせずに時空を越えた奇跡の縁にして
三国志の英雄たちに学びながら、自分自身を成長させて生きませんか?

今日もお付き合いいただきありがとうございました〜!