三国志に学ぶ*社交辞令では人を動かせない理由
玄子(げんし)です。
いつでも会えるから、来年でいいや〜とか
本当に縁が合ったら、また会えるだろうって思っていたら
会えない距離になっている人、いませんか?
目次
社交辞令お断り!
隣県に住んでいる友達って、いつでも会えそうだけど意外と会えないもの。
僅か数時間、列車に乗れば会える距離でも、会えないもの。
学生時代の友人に「会おうよ!」って積極的に言われたので、日程を調整しながら
「最寄りの駅まで行くから、あなたの行きつけの店でお茶しよう」って
相手には負担をかけない精一杯の提示をしても何だかんだで、会えずじまい。
最初っから私に会うつもりなかった?
だったら会おうなんて言わなきゃ良いのに、、、。
って思っているうちに私自身が居住地を移動することになり
飛行機と新幹線を使わないと会えない距離に。
そうなると、やたら「次こそは絶対に会おう」って
言われますが、、、微妙〜って思います。
日本社会で、この手の社交辞令は苦手。
楽しみにしてしまう自分が空しくなります。
私がお子様なだけかも、、、って引きさがるのは簡単ですが
ここは、一歩前に出てこの原因はなんなのか、と大袈裟に捉えて考えたら
中国にはない「社交辞令」概念
きっとこれだ!
19〜25歳、26〜28歳と中国で生活し
19歳の時から今日まで、時代を超えて常に中国の人と交流が続いている玄子。
中国では「え?本当に来たの」とか
「その日、都合が悪くなった〜」って言われることはありません。
会いに行くと約束していて急に予定が入っても、何が何でも絶対に会いにきてくれます。
僅か数分でも、会わずには死ねない!くらいの勢いです。
むしろ相手を気遣って連絡を控えると
「そこまで来たなら何で連絡くれないの?」
「え?財布盗まれた!?←玄子の実話
そんなトラブルにあったなら、何で頼ってくれなかったの?」って
水くささを咎められます。
色んな事をしてくれて、助かった!ありがとう!って思っても
毎回、感謝してばかりいると
「友達なんだから当然でしょ!
あまりお礼言われると心の距離取りたいのかなって思う」
と相手を不機嫌にさせてしまいます。
これが、中国。
そんな中国でも特に、「人の和」の国でもある成都ともなれば
それはもう、社交辞令なんて、何の意味があるのか分かりません。
イヤならイヤでいいのです。
って環境下で人生の基盤を築くと
日本の社交辞令文化、キッツいわ〜ってなります。
そうなると日本でも社交辞令ではなく、本当に行動出来る人としか交流しなくなります。
社交辞令文化があったら【三顧の礼】はなかった?
社交辞令を必要としない中国。
だからこそ、三国志の英雄って有言実行する人が多いのかも。
社交辞令文化がないからこそ、相手の心を動かすのかも。
たとえば、三顧の礼で
「臥龍先生がご不在とあれば、また出直してきます」
、
雪の中、二度も山奥の廬まで訪ねてきた玄德殿。
会えるまで何度も来ますよと伝えますが
これが、社交辞令って思われたら孔明先生は「来たる日」に備えて動かなかったかも。
お供をした関羽殿、張飛殿としては
「え〜〜〜、まだ諦めないんすか!?」って不満を募らせましたが
それもやっぱり、「どうせ社交辞令に決まっている」とは思わずに
玄德殿の本気を感じたからこそ、三度目も何だかんだいって、お供することに。
孔明先生の友人も「二度も来るとなると、、、本物だな!」と確信して
会えるうちに会ってこうって思えたのです。
社交辞令、社交の場では必要なこともあるかも知れませんが
本当に大事な、ここぞって時には、社交辞令だけで終わらせないようにしましょう!
心の扉が閉まって、距離が開いたら?
社交辞令が大人のマナーみたいな雰囲気のある日本で
社交辞令が前提だと、上辺だけで終わっちゃいますよね。
友達同士でも「なんだ、社交辞令かい!」って心の扉が閉まって、距離が開きます。
そんな相手に対して、どんな風にすれば
「社交辞令じゃなかったんだ」って思って貰えるのか?っていうと
本当に行動する。
本当に会いたいって思っても、
相手が「前回、散々会いたいって行っておきながらドタキャンだったし、、、
どうせ今回も社交辞令だよね」って感じていると
あまり話に乗ってきません。話題をそらします。
それどころか避けてる気配さえ感じられることも(;´Д`)
そこまで思わせてしまったなら、今度は
「○月の都合どう?」とか「時間帯はいつが良い?」とか
具体的に、会う日を調整します。
なんなら、こっちから会いに行きます!くらいの本気度が必要です。
以前、相手がやってくれたように。
朋友有信〜友情の幹〜
お互いの信頼が友人関係には最も大事だという教え、朋友有信。
出典は・・・
何というご縁でしょう!!!
私淑(ししゅく)でお馴染みの孟子!!!
何かと縁がありますね(^_^;
これはもう、孟子を読め!!ってことかもしれません。
そんな孟子さんの時代から言われている友人関係において、もっとも大事な「信」。
ですが、具体的にどうやって信を大事にするの?
そもそも、信の定義って何?
そんな疑問に答えてくれるのが孔明先生です!
孔明先生の文霊(あやだま)
自分の言葉に責任を持ち、
約束したことは必ず守ろう
*出典:孔明先生著「心書」
*心譯:玄子
信を大事にする内訳は、言うは易く行うは難し、ですが
今も昔も大事なことは変わりません。
言うまでもなく相手同様、自分を信じられなければ自信に繋がりません。
先ずは自分との約束を守ることから始めてみては如何でしょうか?
今日もお付き合いいただきありがとうございました〜!