好きなことだけで友達は出来るか?
玄子(げんし)です。
長く親しく、友達になれる人って
好きなことが同じ、ではなく価値観や感性が同じ気がしませんか?
目次
三国志はあくまでも縁(切っ掛け)
私の友達で三国志が好き!!!って人はもちろんいますが
彼、彼女らとは三国志の話ってあまりしません。
あくまでも三国志は、彼らと知り合う縁(切っ掛け)に過ぎませんでした。
学生時代からの友達にしろ、道士さんにしろ
素敵な友達と知り合う切っ掛けは三国志!三国志の縁!
だからこそ三国志の英雄たちに感謝!!!なのです。
好きなことだけで友達になれるか?
最近、好きなことだけで生きる、
好きなことを仕事にするって風潮がモテモテですが
好きなことだけで友達になれるか?っていうと
好きなこと「だけ」しか共通の話題がないのであれば
縁(切っ掛け)を縁分(えん)にすることは出来ません!
好きなことが同じ三国志でも
その人と価値観や距離感が合わないと
精神的にしんどくなるだけです!
これくらいのシンドサ!
きゃ〜やめて〜!!!
ここでいう価値観は、三国志に対する価値観ではなく
他の事に対する価値観。
で、その価値観って好きなこと
三国志の話を聴いていると自然と解るので
そういう意味でも、好きなことって自分と相手を知る
良い切っ掛けになるのかも。
好きなことが同じってだけで知音?ムリ!
好きなことが同じだと、どうしても
相手は自分のことを解ってくれる、
解ってくれて当たり前って思っちゃって
ちょっとの価値観の違いも許せなくなったり
相手の求める言葉を選んだり、
本当はそんなこと思っていないのに頷いたり
たまに仮面を脱ぐように、チラリと本音を見せると
「どうしたの?らしくない」って
冗談にされて相手にされなかったり。
そんな経験、ありませんか?
私は有り余っています(^_^;
でも、三国志が好きってだけで
同じものが好きってだけで
同志、知音と見做され、求められる。
けど、好きなことが同じでも
価値観が合わない人の知音になるなんて、、、ムリ!!!
知音なら、本音を聴け!
好きなことを通して、この人、ムリ!って痛感して
「価値観、全然合わないんだけど!」って
主張しても、聞くを耳持たれないことはよくある話。
で、私の話を聴こうとしないから、私もその人の
議論や言葉は気にしない、、、
するとどうなると思いますか?
なんか、逆ギレされます
俺の話をきけ〜!!!
無視するとは無礼な!!!
って。
だったら私の話もちゃんと聴け!です。
相手に信頼されたかったら、
先ずは相手を信頼する。とか
相手に○○を望むなら、
先ずは自分から!って言われてますが
話を聴いて欲しければ、
先ずは人の話を最後まで聴きましょう!
三国志を論ずる前に、玄德公を見倣え!!!
そんな人たちが多い中、
私の稀少な三国志が好きな朋友たちは
私の言わんとすること、想いをしっかりと受け止めて
その上でご自身の意見を述べてくれるので
上辺だけの付き合いにならず心地よい距離感で
お互いに気が向いた時に、気軽に交流できます。
また三国志が好きじゃなくても、興味がなくても
価値観の合う人とは自然と楽しく付き合えます。
三国志が好きでも価値観合わない人よりも
三国志は知らないけど価値観の合う人の方が
ずっと、ずっと楽しく有意義な時間を過ごせます。
馬上で武器を手に戦うタイプの玄德殿が、
その真逆にいる、20才も年齢差がある孔明先生と
水魚の交わりという君臣関係を築けたのも
二人が志すもの、大事にしている「根本」が同じだったから。
好きなことで友情を築くには
好きなことだけで友達は出来ません。
表面上の、時間を楽しむ相手は出来るかも知れませんが
知音、知己を得るには好きなこと「だけ」ではなく
好きなことを切っ掛けにして、
出会えた相手を理解、尊重していくことから始まります。
でも、出会ってすぐに相手の全てやこれからが解るはずはないので
途中で違うなって思ったら無理せず、遠慮せず、
自分の心身の健康を護る。
長続きさせたかったら自分を押しつけずに程よい距離感を保つ。
友達が困難に陥ったら見放さず出来る限り助ける。
友達が順調で幸せでも妬まない。
あの時、助けてあげたのに、と恩着せがましくしない。
でも、困った時に支えてもらったことは忘れない。
友情は一日で完結するものではないので
時間を懸けて大事に育てて生きたいですね!