自分軸よりも人生幹(じんせいかん)

三国志愛x私淑=人生幹!
を地で行っている玄子(げんし)です。

三国志愛は、三国志への想い、情熱

私淑は(ししゅく)は
直接、教えを受けることはできない尊敬する人を師と仰いで
その学問や人格に学ぶこと

人生幹とは?

全ての始まりであり、基盤となる
何が遭ってもブレることなく自分を支えられる人生の幹のことです。

人生幹って言葉そのものは私の造語ですが
人生幹の意味を啓発してくれたのは

人生の師、諸葛孔明先生でした!

 

孔明先生発☆彡人生幹

原典は孔明先生の文霊(あやだま)。
※文霊とは時代、時空、国境を越えて読む人の心を動かす力を持っている
字には(魂、精神)が宿っている
という概念から生まれた玄子の造語です。

孔明先生が国を治めるに当たって大事なことを書かれた文霊を
私が「現代で活用するには?」「個人レベルで自分事として学ぶには?」って
視点から文霊を想作。

孔明先生は命と人生の恩人なので、
自然と私の想作は人生に置き換えた学びになっていました。

その結果、国家を治めるのに必要なブレない本となるものを
人生を生きるのに必要なブレない本となるもの、という想作により

人生幹という教えに辿り着きました。

孔明先生への想いや、イメージ、自分のそれまでの人生、経験によって
文霊の想作の仕方は人それぞれなので、それもまた私淑の醍醐味♪

 

自分軸と人生幹の違い

 

人生幹なんて造語を使うよりも、自分軸の方が解りやすい、
普及していると思いますが

イメージ的に軸って言うと私的には

 

電動機のイラスト

こんな感じ。

自分軸を持つ、手にすると言われても
なんか、違和感があります。
自分軸を作るっていわれても
工具なんて作れないわ、私って思います。

早い話が、想像力が欠如しているだけなのかもしれません(^0^;)

それでもやっぱり軸はなんか、、、頼りないし無機質な感じ。
時間を懸けて作りあげるってよりも、無理矢理、有無不無を言わさず
とりあえず、大人のステータス的な印象が強くて
あまり好きじゃないんですよね〜。

一方、幹っていうと神木とか、この木なんの木、気になる木とか
どっしり感、強さ、優しさを感じます。

夏の木のイラスト

しかも幹は、根本がしっかりしている分だけ
暴風雨に耐えて枝や葉を育てるから

桜の木のイラスト

花を咲かせたり、動物の命を育んだり、、、

幹をどっしりと根付かせることで
色んな可能性が生まれてくるのです。

孔明先生が、根本となるものを幹、
それに呼応するものを枝や葉に例えたことで
私の中で【人生幹】という言葉になりました。

孔明先生の教えだからこそっていうのも
もちろん、大きいです!

本末転倒しないためにも

ところで自分軸の比較対象は、他人軸。
では、人生幹の比較対象は何かと言えば、それは枝や葉。

孔明先生によると幹は本(もと)、枝や葉は末。

物事の根本となる幹がしっかりしていなければ
どんなに小手先だけ、目先だけの技術や知識を取り繕っても
頭でっかちになってしまうし

枝や葉を生長させることだけに気を取られて
幹を蔑ろにしてしまってはそれこそ

本末転倒の事態を招いてしまう。と警戒しています。

少しでも早く結果を出したい、成長したいと思えば
つい、【本】を疎かにして【末】にだけ注力してしまいがち。

たとえば、上手くいっている人の上辺だけ真似たり
いいね、されることを求めて行動してしまったり
基本が面倒で適当に流してしまったり、、、

確かに、本をしっかりと根付かせることは
地味で時間がかかるものだし、
成長過程は人に見せるものじゃないから
誰かに賞賛されたり、いいね、されるものじゃないけれど
自分の基盤となる人生幹は大事に育てて生きたいですね!

人生幹、、、この学びは孔明先生に私淑したからこそ得られたもの。
私一人では永遠に辿り着けなかったかも!!

私淑って、本当いいですね!!(^_^)b