三国志愛x私淑(ししゅく)=人生幹
玄子(げんし)です。
東北、特に山形県は豪雨のようですが、大丈夫ですか?
一方の東海地方は東北と一文字違いなのに、、、暑い。
全然雨が降りません、、、。
天気ももうちょっとバランスを考えてくれないもんでしょうか?
山形のみなさま、気を付けてくださいね!
山形は小学、中学時代と過ごしていたので
秋田よりも思い出の地。良くも悪くも、、、。
思い出の数も、友達も、出会いの数も秋田より山形の方が多いです。
そんな出会いの一つが、三国志。
目次
三国志は人生と命の恩人
私にとって三国志の英雄たちは人生と命の恩人です。
三国志の英雄たちと再会できていなければ
私は生きることをやめていました。
仮に命はあっても、魂が活き活きすることなく
閉ざされた環境だけが全てと思い込んで
人間嫌いと不信を引きずったまま
人生に希望も楽しみも見出すことは出来ませんでした。
キングダムも水滸伝も読んだけど、呼ばれなかった!
だから、歴史が好きなわけでもないし、詳しいわけでもない。
洋の東西を問わず、歴史に疎いです!
中国史も三国志以外は、ほとんど知らず。
三国志の英雄たちが影響を受けた古人であれば何となく気にとめたり
古琴の曲を作曲したり、知っている話に絡んでいれば、「ぉお!」って思う程度。
キングダムも一巻を購入してみたけど、一巻止まり。
水滸伝も、横山三国志を書いた横山光輝先生のを読んだけど
これもやっぱり、一巻止まり。
こちらから読みに行ったけど、
キングダム、水滸伝に呼ばれることなく
時空を越えられませんでした。
ってことで、私にとって三国志だけ、
唯一無二の存在なのです。
三国志の英雄たちと再会して四半世紀以上。
私が飽きることなく、三国志への情熱を燃やし続けられるのは
三国志愛x私淑(ししゅく)=人生幹
もう、これだけ!以上!!!
大好きな三国志英雄への想い、情熱を私淑することによって
自分だけの学び、世界観、経験が蓄積されます。
そして、それはいつしか
何が遭ってもブレることなく自分を支えてくれる
人生の幹、人生幹になるのです!!!!!
一言で言うと
三国志愛x私淑=人生幹
でも、私淑はまだまだ、馴染みのない言葉なので
ただ単に歴史に学ぶことって思われることも、、、が!!!
歴史に学ぶことと、私淑は似て非なるもの
似て非なるもの、とは一見似ているが本質は異なるもの。
出典はー孟子!!!!\(◎o◎)/!
私淑に引き続き、ここぞって時に縁がある孟子、先生!!
ここまで縁があると肖像画っぽいのが欲しくなったので
中国のサイトから拝借しました。
で。三国志は陳寿三國志と、羅貫中の三国演義が二大巨頭ですが
三国演義は歴史小説なので何かに付け、言われます。
特に、学ぶ、となると
三国演義のような歴史小説に学ぶのは危険とか、
実際にはそんなことをするのは無理、とか
よく、耳や目にします。
なぜなら、本当だと思い込んで真似て失敗する人が居るとか
史実とフィクションが混同している、とか
痛い人呼ばわりされて終わるだけ。
が、これは私淑とはいいません。
たとえば、昨日、旧暦の6月24日にご生誕日を迎えた関羽様は
酒が醒めないうちに、敵将の首をあげ勝利に貢献し、
曹操閣下が「こいつはただ者じゃない!」と目を光らせる☆彡
切っ掛けになったのですが
だからといって!
熱燗を用意して戦(挑戦)をすれば
誰でも成功するかっていうと、当然、もちろん違います。
空城の計を真似て、楽器を演奏すれば
人数が少なくても相手を圧倒できるかといえば、やっぱりもちろん違います。
なんで?って、時代が違うし!!!
乱世と平和な世の中って置かれている状況も違うし。
何よりも、彼らは歴史に名を残すほどの人物です。
それをすっ飛ばして、上辺だけ真似ても上手くいくはずがない!
それなのに、失敗したら史実じゃないからとか、人のせい?
そんな人には
イエローカードです!
時代が違うから私淑しても意味がないというのも
現代で、自分の状況で、活用するにはどうする?って
自分事として学んだことを活かそうとしないから
時空を越えた学びが出来ないのです。
私淑はあくまでも自分に活かすため!成長させるため!
どうあがいても戦乱の世を駆け抜け、歴史に名を残し、
今日まで慕われている彼らには到底及ばない!!!!
ってことを謙虚に受け止められないと、
敬慕する人を人生の師にするのが大前提の私淑は難しいと思います。
歴史上の人物の「いいな」と思ったところだけ真似ても
その人の本質を理解していないと、薄っぺらいものになってしまいます。
何度もしつこいですが
私淑はあくまでも、縁と価値観の合った人を
師匠として敬慕して迎え、
学問や人柄に学んで自分自身を成長させるもの。
彼らの言動をどう受け止めて、何を学ぶのか人それぞれ。
師匠が同じでも学びも亦ひとそれぞれなのです。
責任者は自分!
歴史小説を史実と混同するのは危険、とはいうけど
それ以上に危険で厄介なのは、
歴史上の人物の生き方に、小説や物語を通して学んで
生きる勇気を得た。
のに!!
危険とか、ヤバいとか、痛いとか言われて
せっかく得た勇気や希望を手放してしまうこと。
人の気持ちはただでさえ醒めやすい。
何もしなくても勝手に醒めるのに
故意に興醒めするようなこと言われたら
あっという間にしらけてしまいます。
時空を越えて生きる希望を得たのに、
正しさだけを求めるよう脅迫されて、夢やロマンが破れてしまったり
万が一、命の炎が消えても、誰も責任を取ってくれません。
「そんなに好きなら気にしなきゃ良かったのに」
「所詮、それっぽっちの想いだったんでしょ?」
「普通、本当に好きなら、これくらいのことで諦めないよ」
って、散々、心ないことを言ってきた人に
今度は上から目線で「根性がない」「愛が足りない」とジャッジされるだけで百害あって一利なし。
当然、私も今までに何度となく
三国志愛に水を差されたり、土足で踏み込まれたり
価値観押しつけ隊に攻め入られたりしましたが
それでも、そんなもんさえ焼き尽くす勢いの情熱を持っているので
何が遭ってもブレずに三国志愛を貫いていられるのです。
なので、そんな三国志道を生きている私だからこそ伝えられる
時空を越えた三国志の愛し方
三国志愛(情熱)x私淑=人生幹
を必要とする人に届きますよう、心を込めて発信しています。
大好きな歴史上の人物への想いを「痛い人」呼ばわりされて終わるのか
大好きな歴史上の人物に私淑して、何が遭ってもブレずに自分を支えられる【人生幹】を築くのか
お好きな方をお選び頂けます♪
人生幹を築きたい方は、今後とも宜しくお願いします。
今日もお付き合いいただきありがとうございました〜!