人間力の基盤となるものとは?

三国志に学んだ人間力の高め方を伝えている玄子(げんし)です。

とはいえ!人間力を高めるってことは聖人君子になることではなく、自分自身を成長させることです。

新年に立てた目標は順調にクリアしていますか?
去年の今頃の自分より成長していますか?

昨日までは、できなかったことで、出来るようになったこと、新発見は何ですか?
新たに勉強した、学んだことはなんですか?

どんな時、成長したな〜って思いますか?

どんな人に会うと「人間力高いな〜!」って思いますか?

目次

三国志の英雄たちに人間力を学ぶわけ

私が人間力の高め方を学んでいる、大好きな三国志の英雄たちは、たたき上げ系。

彼らは波瀾万丈に満ちた人生を経て中国の歴史を動かした人たちですが

共通点は

全ての始まりであり基盤となる、何が遭っても自分を支えられる、人生の幹を持っていること!!!

↑武侯墓にある樹齢1700年以上もある金木犀の樹。
樹の奥に見えるのがファン号泣必至!
孔明先生の眠る武侯墓です。

 

人生の幹があるから

何が遭ってもブレません。諦めません。

だから、何が遭っても見捨てられることはありません。

しかも、後世の人間にさえ大きな影響を与えてしまいます!

 

でも、それって、三国志の英雄だからでしょ?

普通は、人生の幹になるものがあれば、それで満足して、自己完結。

成長しなくなるんじゃ?

 

と思われるかも知れませんが、幹は成長しますよね!

成長して枝を伸ばし、葉を生い茂らせます。

もっとも、「自分自身を成長させよう!」

って自発的に気付いて行動しなければ、雨や風に耐えきれず簡単に折れてしまいます。

また、根幹となる『本(もと)』をおろそかにして、枝や葉の部分に当たる表面的な『末(まつ)』にだけ気をとられてしまっては本末転倒の事態を招いてしまいます。

※本末転倒とは:根本的で重要なことと、些細でつまらないことを取り違えること。

そうならないためにも、人間力の本(もと)ともなる、自分自身の根幹を築いていかないといけません!

心の乱世を生きる力

何が遭っても本末転倒しないくらい、どっしりとした人生の幹は、一朝一夕で気付いたり、築けるものではないし、すぐに目に見える結果や進歩が出るわけでもありません。

それでも、目に見えなくても、それまで積み重ねていることは無駄にならないから、大丈夫!
怖れず、焦らずに、じっくり大きな器を作ってくださいね。

言うまでもなく!当然すぎて忘れてしまいがちなのですが、人間力が高くて、歴史に名前まで刻んでしまうような人は、みんな生まれつき人間力が高かった訳ではありません。

様々な苦難や忍耐を経て、挫折を乗り越えて、実力と人間力を高めているのです。
そんな偉人でさえ、人生を懸けて自分自身を高めているのだから、私たちは、なおさら謙虚にしっかりと心の乱世を生き抜く人間力を身につけないといけないのです。

もし、人間力を高めたいと思いながらも、一時の雰囲気や、情に流されて、何一つ行動に移すことなく、困った時は世のせい、人のせいにしているようでは、いつまで経っても“うだつの上がらない”人間力のまま、「何とかしたい」と思う意志は歳月と共に去ってしまいます。

そうなるとそれはもう、落ちるのを待つだけの枯れ木の葉状態。

そんな状態になってから慌てふためいても後の祭り。
どうすることも出来なくなります。

・・・と、脅しっぽい感じになりましたが、
「本」となる根幹があるからこそ、「末」となる葉や枝も伸びて生い茂るって教えと、上記の太文字部分の教えは

三国志の諸葛孔明先生の言葉だったのです!

相手が敵だろうと、同盟相手だろうと、はたまた味方であろうとも脅し文句は得意です♪( ̄∇ ̄)

私が言うと「ふ〜ん」って感じでも、孔明先生が言ったとなれば話は別。
実際に乱世を生き抜いた彼らの言葉だからこそ、重く響くのです。

私の中のデータベースは三国志(三国演義)と、孔明先生の教えなのでこのブログでは、この二つの教えに基づいて
三国志の英雄たちの生き方に学ぶ人間力の高め方をお伝えしていきます。

ということで、思い立ったら吉日!

 

人間力を高める第一歩として、

志を明らかにする

ことから始めませんか?

少年よ、大志を抱け!と言いますが

大志は少年や少女、若者だけの特権ではありません。

とはいえ、今の時代。

熱いと馬鹿にされたり笑われたりするので

志とか要らないしぃ〜

そういうのなくても全然構わないしぃ〜

って人はこのブログ読んでも全然響かないと思うので、さよ〜なら〜(^_^)/~

昔から、志を抱くことの大切さが説かれているのは、昔もやっぱり

「志って面倒じゃね?」

「熱くなって笑える〜」

「そんなのあってもお腹は膨れない!」

って人が圧倒的に多かったからだと思います。

 

そんな乱世にありながらも、三国志の「英雄」と呼ばれる人たちは、みんな志を抱いていました。

その中でも特に私利私欲や私情といった、ミミッチイ思惑に囚われることなく、志を明らかにしよう!と啓発しているのは

諸葛孔明先生!
どんだけ、孔明先生好きよって話ですが、死ぬほど好きです(o^^o)人生の師!

今日は孔明先生の著書からそのヒントをお届けしますね。

 

なぜ志を明確にすることが大切なのか?

志が明確になれば、今何が出来るのか?何をすべきなのか?を人のせいにせず、自分自身の判断で行動に移せるようになるので自然と人間力も高まります。

そうなると枠に囚われることなく、可能性を広げられるようになるのです。

喩えるならそれは、、、

翼の生えた猛虎のようなもの!!!

でも、志がなく、何をどうすべきかさえ解らないのに、一貫性のない自己主張ばかり繰り返して何もしないのであれば、どうなるでしょうか?

行き当たりばったり、思いつき、気分次第、その時の感情に任せた言動が日常的になってしまい、責任逃れすることに慣れてしまうので、結果的に信頼を失います。

喩えるならそれは、、、

水を失った魚のようなもの!!!

 

早い話が

人生を飛翔するのも、悲傷するのも志次第!ってことですね。

とはいえ!

志って堅苦しく難しいってイメージがあるかも知れませんが、ご安心ください!

 

「天下を取る!」とか「ノーベル賞を受賞する」「世界を動かす」っていう誰が聴いてもビックリするようなことだったり、立派なことじゃなくていいんです。

 

簡単に言えば、志と成り得るものは

行動せずには居られないほどの情熱を感じるもの

頭よりも、体よりも先に魂が動くようなこと

あくまでも自分の魂の琴線に響くこと、が大事なポイントです。

ちなみに情熱が最も反応しやすいのは【好きなこと】なので、心が熱くなるような好きなことと、じっくり向き合ってみては如何でしょうか?

今日の三国志からの教訓

人生を飛翔するのも、悲傷するのも志(こころざし)次第!

翼の生えた猛虎になるのか、水を失った魚になるのかー

お好きな方をお選びください♪