紫蘇と三国志〜シソって何で【紫蘇】って書くの?〜

玄子(げんし)です。

今日は夏バテに元気を回復してくれると言われている
紫蘇の魅力をお伝えします!

といっても、レシピとか、栽培方法ではなく

目次

紫蘇と三国志

紫に蘇るで、紫蘇。
何でこんな不思議な漢字を使うのか
何となく気になったので調べたら
三国志と関係がありました☆
なので今日はそのお話を・・・。

 

死ぬほど蟹を食べてみた!?

蟹が大好きな人なら一度は、
「もう、食べられません!」ってくらい
蟹を大人食いしてみたくなるもの、、、。

ズワイガニのイラスト

でも、死ぬほど蟹を食べられたら、、、、、って
思うのは現代人だけではなかったようです。

なんと!!!三国志の時代。
後漢末期の洛陽である若者が蟹の食べすぎで
食中毒になってしまい
死にかけてしまいました!
(ってどれくらいの蟹を!?)

食中毒のイラスト

 

戦乱の三国志の時代に死因、蟹の食べ過ぎって
なんか、、、メンツが〜
いや、メンツなんてこの際、どうでも良い!

本当に死にそう!!!!

あまりの痛みに七転八倒する若者。

 

黄巾党にもすがる思い、、、でも、、、

 

嗚呼、もしも張角様がいたら、薬草とか、
あの謎のお札で治っていたかも知れないけど

今は昔。
治してくれるなら迷わずに黄巾党に入るのに!!!

でも、もう、張角様もいません!

行きつけのお医者さんも
「戦場で負った傷の手当ては経験あるけど、、、
蟹の食べ過ぎで腹痛って、、、前代未聞!無理!!!」

さじを投げてしまいました。

あ〜、蟹の食べ過ぎが原因で死ぬなんて、、、
俺、運なさ過ぎ、、、、。

若者はお腹を抱えながら倒れ込んでしまいました。

捨てる神あれば拾う神あり

でも、この若者は強運の持ち主でした。

あまりの痛みで死にかけていた若者の前に現れたのは
天下に名高い、神の手を持つあの名医
華佗(かだ)先生!だったのです。
華陀、と書くことも。

 

ここでちょっと
華佗先生をご紹介いたします。

字(あざな)は元化。
沛国譙嬙郡の人なので曹操閣下と同郷です。

三国志の英雄たちの命もかなり助けてくれた華佗先生。

たとえば、孫策殿の配下・董襲さんの槍傷を半月で治したり、
同じく孫策殿の配下で危篤状態に陥った周泰さんを
見事1ヶ月で治したりするほどの伝説的名医なのです。

最も有名な、関羽殿が右ひじに毒矢を受けた時に手術をしたのも
この華佗先生です。

名医でありながら地位や権力に関係なく
相手が誰であろうとも
神業ともいえる医術で多くの人々を救っていた華佗先生。

 

紫の蘇りし薬

そして今回、食中毒で死にそうな若者も
運良く華佗先生に診てもらう事になりましたが
先生はあっという間に
薬草を煎じると紫の薬を作って若者に飲ませました。

するとどうでしょう!?
死にかけていた若者は
たちまち蘇り元気になりました!

 

元気な男性のイラスト

 

 

このことから
「紫」の「蘇る」薬ということで
この薬草を「紫蘇」と
呼ぶようになったんだそうです。

めでたし、めでたし( ^^) _旦~~

青嚢書(せいのうしょ)

最後に、華佗先生つながりで
華佗先生が文霊を綴った医術書
『青嚢書』のご紹介です。

といきたいのですが、
残念ながら
青嚢書はちょっとした手違いで
華佗先生が亡くなって間もなく
焼かれてしまいました(T_T)人類にとっての大きな損失です!

青嚢書があれば曹操閣下を始め
三国志の英雄たちの寿命も延びていたのかも・・・。

 

 

それにしても、、、洛陽で蟹の食べすぎによる
食中毒ってことは
曹操閣下や郭嘉さまを始めとする
曹魏の方々も蟹料理を満喫していたのでしょうか?

って考えると身の周りにある
色んなもの、侮れませんね(^^♪

夏バテ防止に紫蘇ジュースを飲む時に
華佗先生を想うのもまた一興〜。

暑さに負けず熱く三国志を楽しんで生きたいですね!

 

今日もお付き合いいただき、ありがとうございました〜!

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