弱く柔らかいだけではダメ!「柔よく剛を制する」剛を制する柔の内訳はこれ!
玄子(げんし)です。
柔よく剛を制する、と言われますが孔明先生は
ただ単に弱く、柔らかいだけではダメだ!と
著書の中で柔弱さの「内訳」を述べています。
目次
剛を制することの出来る「柔」とは?
相手を尊重する物腰の柔らかさや
受け入れる寛容さはとても大事ですが
長いものや多数の声に巻かれてばかりで
自分の意見や想い、情熱を持つことなく
流されてばかりだと、周りに潰されてしまいます!!!
じゃあ、何が必要かと言えばしっかりと自分を支えられる「剛強さ」。
ですが、剛強さだけを求めてしまっては自滅してしまいます。
え?何言ってんの?矛盾していない??
・・・柔と剛、どっちが大事なの?どうすんの?っていうと
早い話が、どっちも大事なので
柔と剛のどちらもバランス良く併せ持つ!
柔らかすぎず、剛(つよ)すぎない。
これこそが孔明先生の人間力の基本といっても過言ではありません。
柔よく剛を制する、にしても「制する」って強さがなければ
何か困難やトラブルが生じた時に
それを乗り越えたり、解決、克服しようって思えません。
でも、だからといって
強硬な手段や態度に出てばかりで
寛容さや物腰の柔らかさを欠いてしまっては
硬いだけでしなやかさに欠ける器のように壊れやすく
心は簡単に折れてしまいます。
柔と剛のバランスは謙虚力!
柔らかいだけでも、剛(つよい)だけでもない
柔と剛のバランスを取るのに必要なのは、謙虚力。
謙虚さっていうと「柔120%」ってイメージがあって
時代遅れとか、美徳じゃないとか、これからの時代では通用しないって
言われ勝ちですが、実は謙虚な人ほど強いのです。
・・・とはいえ!
私の概念とする「謙虚さ」の内訳は全て諸葛孔明先生に学んでいるものなので
一般的な意味とは、もしかしたら異なるかも知れません。
なので改めて
諸葛流!謙虚力とは?
孔明先生は蜀の丞相。一国の大黒柱的存在でした。
でも、決して威張ったり、権力を笠に着ることはありませんでした。
その人柄は
「諸葛丞相が生きていた頃は、とても親しみやすいお方で
私たちも普通に接していたのですが
天に還られてからその偉大さをヒシヒシと痛感しています」と言われたり
「三国志」を書いた陳寿も
「蜀では領民に至るまで諸葛丞相を畏れながら愛していました」と証言しています。
が!一国の丞相ともなった理由は
当然、親しみやすく慕われているからって理由だけではありませんでした。
孔明先生はとにかく
言うべき時は言う!
特に相手が敵だと容赦しません!
言葉一つで憤死させた実績もあり。
また、相手が自分の主君や
仲間である天下の豪傑相手でも躊躇しません。
思いっきり言います。
謙虚さの一般的なイメージだと、
言いたいことがあっても我慢することが正解と思われるかも知れませんが
現代でも、敵や味方に分かれていなくても
言うべきことを言える強さこそが謙虚さ。
言うべきことを言わずに相手の顔色を伺って迎合するのではなく
自分への評判や印象はどうあれ、言うべきは言う。
当然ですが、何の考えもなく言いたいことを言って、
相手が傷つこうが、事態が悪化しようが構わず
言ってスッキリ!とは違います。
相手の気持ちを尊重しながら、理解した上で
相手に合った言葉で伝える、、、。
これって意外と難しいし勇気が要りますよね。
でも、これこそが孔明先生の言う
柔と剛のバランスなのではないかなと思います。
ということで
今日の孔明先生の文霊(あやだま)
柔らかすぎず、剛(つよ)過ぎず
それこそが道に適った原則である
原典*諸葛孔明先生著『心書』
心譯*玄子
柔と剛のバランスがとれたメンタルって理想だけど
本当に難しいので少しずつでもバランスを取りながら謙虚力をUP出来るよう
これからもお伝えしていきますね!