「司隷校尉」ってそんなにすごいの?

孔明先生のご先祖、諸葛豊さんが「司隷校尉」だというのは
史書「三国志・諸葛亮傳」冒頭に出てくるので文字として知っていました。

でも、そんなに気にしていませんでした。

が!玄徳公が帝位に就き、孔明先生が丞相になった時
張飛さんが司隷校尉に就任。

 

張飛さん亡き後は孔明先生が引き継いでいます。

ってことは!

何気にそれなりにすごい官位だったのかもしれない!と思いAIに聞いて調べたところ

※以下AIによる回答です。

目次

司隷校尉ってどんな役職?

西漢(前漢)の武帝の時代に創設された役職で、首都圏(諸司隷州)の治安維持と、官僚たちの不祥事を監視するために作られました。

  • 皇帝直属の最高権力 通常の行政ルート(大臣や地方官)を完全に飛び越えて、皇帝に直接報告・上奏(決裁を求めること)ができる超特権ポストでした。

  • シンボルは「節(せつ)」 皇帝から授けられた「節」というシンボル(権威の証明)を持ち、独自に兵を動かしたり、疑いのある人物を即座に逮捕・拘留したりする強力な権限が認められていました。

  • 特命全権の「無敵の捜査官」 皇族や大貴族、大臣であっても、不正があれば容赦なく検挙できる立場でした。まさに法と正義を執行する存在です。

具体的にどんな仕事をするの?

主な業務は大きく分けて3つありました。

1. 首都圏の警察・治安維持

首都周辺の治安を守るため、犯罪者の取り締まりや暴動の鎮圧、兵士の指揮を行いました。

2. 官僚や貴族の不正監察(特命捜査)

皇帝の目となり耳となって、朝廷の臣下や皇族、地方長官たちが賄賂を受け取っていないか、権力を濫用していないかを監視・監察しました。

3. 皇帝直命の重要事件の捜査・裁判

国家を揺るがすような大事件や、大物が絡む汚職事件が発生した際、
皇帝から直々に捜査命令を受けて裁判まで執り行いました。

孔明先生が司隷校尉を兼任した意味

当時の孔明先生は、すでに政務の最高責任者である「丞相」の職にありました。
そこに加えて司隷校尉(警察・治安・監察のトップ)や益州牧(益州の行政長官)なども兼ねる形となったため、
「国の行政・治安維持・監察・軍務の全権が一手に集約された」ことになります。

とのこと。

孔明先生が中国の歴史を動かすまで、諸葛家では諸葛豊さんが一族の誇り、誉だったことが窺われます。

だからこそ史書にも「司隷校尉」だった諸葛豊さんのことが書かれていたんですね!

諸葛豊さんが司隷校尉として活躍していた当時、
久しぶりに会った相手との挨拶で
「諸葛豊さんに会っていた(しつこいくらいの取り調べを受けていた)ので
ご無沙汰してました〜」って言葉が生まれるくらい、

諸葛豊さんは徹底して司隷校尉の任に全力を注いでいたのです。

そして孔明先生もまた、納得のいかない取り調べや、
被疑者が不服な案件で重罪に値するものは自ら調べて判決を下しており
言い渡された方も心服していたと言われています。

「ただでさえ忙しいのだから、そこまでやる必要ないのでは」とも言われますが・・・

仮に!冤罪をかけられて下手すると死刑!って時に
希望するなら孔明先生自らが調べてくれるって言われたら
「ご多忙中とは思いますが、自分の案件だけでも孔明先生、お願いします!」
って懇願したくなるはず!

他の人を信頼していないわけじゃなく
孔明先生なら絶対に信頼できるから!

ってのを孔明先生ご自身、感じていたのかもしれませんね!

孔明先生が、諸葛豊さんと同じ司隷校尉に就任した時
どう思われたのか・・・

孔明先生以外の人間が議論することではないので
個々人の心の中で孔明先生と語り合ってみてはいかがでしょうか?

玄子(げんし)