「季漢か、蜀漢か」孔明先生はー

玄子(げんし)です。
中国の孔明先生ファンと
交流していると
「孔明先生が好きなら
蜀漢ではなく季漢と呼ぶべき」
って言われることありませんか?
目次
とりあえず季漢の「季」って何さ?
日本ではあまり馴染みのない
この呼び方。
季漢って何なのさ?
ってことから説明すると
「季」の意味合い:
前漢・後漢に続く
「三つ目の、末っ子の漢」
つまり正統な漢王朝の
最後の系譜であるという
主張を込めた学術的・正統性の
主張としての別称とされています。
この呼称は、後世の歴史家や学者、
特に漢の正統を蜀に置きたい人々によって、
蜀漢を指す代名詞として愛用されるように
なったそうな。
なので「蜀漢」はだめ!
みたいな勢いで否定してくるのですが・・・
末っ子、最後を意味するってどうなの?
「季漢」という言葉には、
「末っ子の漢、ここで終わり」という
終焉のニュアンスが含まれている
ってことは!!
漢王朝の再興を目指した孔明先生の
志を通り越して歴史的な記録と正統性の主張を
後世に残すための言葉だったと考えられ
そこに孔明先生はいない!

私の場合は歴史的に
どうこうではなく
孔明先生はどうなのか?
ってことしか興味がないので
興味があるのは
孔明先生はどう呼んでいたのか?
私を含め、現代人や後世の人間
孔明先生以外の人はどうでもいい。
孔明先生ご自身はどうだったのかといえば
漢一択!!

↑古代漢字・漢
それを後世の人間が
分かりやすいようにどう呼ぶかで
季漢か蜀漢か?に分かれるなら
私は何が何でも蜀漢派!!!
中国の人に
どんなにダメ出しされても
私は蜀漢派です。
なぜならば!!
蜀って今の成都でも
普通に使われていて
巴蜀文化に根ざしている。
孔明先生たちが
蜀を治めていた頃からの
歴史や文化込み込みで
存在する今日の蜀。
その蜀の地で
武侯祠を始めとする聖地で
今でも彼らは愛され続けているのです。

私はそんな現地の人の
彼らへの想いこそが
彼らを今日まで守り、
伝え続けてきたと思うので
1800年もの間
孔明先生を畏れながら愛し続け
伝え続けてくれた
蜀の人たちへの
感謝と敬意を込めて
今でも英雄たちが
蜀の地で人々と共に
生きていることを尊重したいので
私は蜀漢派!!!

↑古代漢字・蜀
漢王朝そのものも
日本では前漢後漢、
だけど
中国では東漢、西漢。
要は呼び方は違っても
そこで生きた人の
志も信念も変わらない。
大事なのは呼び方ではなく
彼らに何を学び
自分にどう活かすか?だと
思っています。

自分にとって大事なこと
大事にして生きたいですね!