孔明先生に学ぶ成語な人生(仮)〜三顧の礼〜

人生の師・諸葛孔明先生を

尊敬愛しすぎて
今日まで生きている
玄子(げんし)です。

ちょっくら、実験的に

孔明先生に学ぶ成語な人生(仮)を

綴ってみます。

ではでは、孔明先生に学ぶ成語な人生(仮)行ってみます!

三顧茅廬~三顧の礼~

中国語の三顧茅廬とは

日本語の三顧の礼のこと。

説明を書いたページを
リンクさせればいいかなって思ったら・・・

あまりにも有名すぎて
「書かなくても大丈夫ですよね?」と

割愛しまくっていました。

・・・( ̄▽ ̄;)今回は三顧の礼が
メインなので書かないとね。

熱くなったり、
長くなったりするかもしれませんが
私は気にしないので、

您も気にせず読み進めてくだされ〜。

三顧の礼とは?

皇叔として帝や曹操閣下を
始めとする群雄たちに
一目置かれていた玄徳公が

20歳も年下で
しかも、まだなんの実績もない
隆中の山奥で
晴耕雨読生活を送っていた
無名の孔明先生を
三度も訪ねて誠意を尽くし

孔明先生に「このお方のためなら!」
と感激させ
ついに迎え入れた

孔明先生の人生の転機となった
・・・だけではなく
中国の歴史が動いた出来事を

三顧の礼と言います。

二度目の吹雪を押してまで会いにいくも
残念ながら空振り・・・っていう場面が
中国では結構人気です。

天下に名の知れ渡った玄徳公が
20歳も年下の無名の孔明先生を三度も訪ねた
ってのがポイントです。

 

おまけ*三顧の礼の聖地論争

余談ですが中国の歴史に
多大な影響を与えた三顧の礼。

現代においても
その聖地争いはかなり
ヒートアップしています(−_−;)

南陽市か襄樊市か?
地元の人同士が相見えてしまうと、
すっごい論争に発展してしまうそうです。

どちらも譲らないので。

ところが!

2010年12月。

襄樊市は襄陽市に
いきなり改名!

理由は聖地として
南陽市に勝つため!だとか。
それだけの理由で改名するんですか?
って思われますが

ええ、しますとも、しますとも。

元々襄陽だったし、
漢字も書きやすくなったし
全然オッケ〜でしょ!
って気概さえ感じられます。

英雄たちの人生や
人柄を議論、批判する
歴史的な虚実云々論争は嫌いだけど

孔明先生の奪い合い?みたいな
現地の人の熱い戦いは
結構、好きです( ̄∀ ̄)

名前を変えたからと言って
実際の現場は変わらないんだけど
(どっちなんだろうね?)

今でも奪い合いになるくらい
畏れながら愛されている孔明先生。

さすがです・:*+.\(( °ω° ))/.:+

ってことで、
本当は三顧の礼を
もっと深掘りする予定でしたが
公式見解だけでこんなにも
書いちゃったので^^;愛が止まらない!

孔明先生に学ぶ!読み切り成語!
本日はここまでm(_ _)m

こんな感じで、
孔明先生の人生を
順番に成語と共にお伝えしていこうかなと
思っていまぁす。

応援、よろしくです!

玄子(げんし)