師せる孔明先生、生ける屍(わたし)を甦らす(30)〜情熱を武器に三国志を楽しむ道〜

玄子(げんし)です。

孔明先生との時空を超えた奇縁を描いたエッセイ

【全22話】師せる孔明先生、生ける屍(わたし)を甦らす

出会ってから留学するまで↑

23話以降は こちら よりご覧下さい。

孔明先生の文霊(あやだま)

孔明先生がこの世に遺された文字たちは
丞相という高位にまで登りつめた孔明先生ご自身の教えだからこそ、
千八百年以上畏れながら愛され続けている孔明先生の教えだからこそ、
説得力も尋常ではなかった。

兵法書という堅苦しく難解な分野に縛り付けるには、
あまりにも勿体なさすぎる心の教えだった。

兵法書でありながら『心書』と題された理由もきっと、そこにあるのだろう。

孔明先生の『心書』に託された文字達を千八百年の時空を超えて紐解いていくうちに、
これは言霊ならぬ、文霊(あやだま)だと直感した。

文霊とは、時代、時空、国境を越えて、
読む人の心を動かす力を持っている字には(魂、精神)が宿っている、
という概念から生まれた私の造語である。

「私が求めていたのは、これだ!」

三国志繋がりというだけで、
聞いてもいない不遜な価値観を上から目線で振りかざしては、
土足で踏み入ってくるお歴々と一線を画し、
情熱を武器に三国志を楽しむ道ー私淑に辿り着いた私は、
これこそが孔明先生からの時空を超えた指導の賜物なのだと気付いた。

表面上の意訳ではなく、
今でも畏れながら愛している現地の人の想いや、
孔明先生の人柄を尊重しながら文霊を想作できるのは
孔明先生を時空という「御簾(みす)」越しに

尊敬愛している私だからこそ出来るのだと、
生まれて初めて自分の存在に自信を持てた。

他の人から見たら、痛かろうが何だろうが知ったことではない。

現に私は孔明先生の文霊に支えられ、
今日まで生きているのだから。

私が今、こうして生きていることが、全て。

そしてこれが文霊想作家(あやだまそうさくか)になった経緯である。

様々な紆余曲折を経て
孔明先生専属の文霊想作家になった私は>>>