師せる孔明先生、生ける屍(わたし)を甦らす(29)陳寿でも羅貫中でもない!孔明先生が伝える孔明先生とは
玄子(げんし)です。
孔明先生との時空を超えた奇縁を描いたエッセイ
出会ってから留学するまで↑
23話以降は こちら よりご覧下さい。
人生、二度目の衝撃
それは、初めて三国志を読んだ時以来の衝撃だった。
武侯墓で勧められた本は『天下三分の計』を始めとする孔明先生の言葉や
『出師表』や『心書』『便宜十六策』のように文字として書き遺された
貴重な教えが納められた至宝の一冊だった。
史書『三国志』を書いた陳寿でも
小説『三國演義』を描いた羅貫中でもない。
孔明先生自身が伝える孔明先生
それは、私がずっと心の中で思い描き、
敬慕し続けてきた孔明先生そのものだった。
三国志の時代の漢語、しかも兵法書なので難しいだろうと構えたが、
不思議なくらい何の抵抗もなく、
文字が一文字ずつ甦っていくのを感じた。
孔明先生が書いたその日から今日まで、
千八百年もの時を経て、
生き残り続けた漢字一文字ずつの意味を紐解いていくと、
孔明先生の教えを現代の生活に置き換えて想作する思考回路が、
私の脳内に存在していたことに気付かされた。
成都で巴蜀文化に触れながら三国志を学んだ日々によって形成された、
私なりの時空を超えた学び方なのかもしれない。
一文字ひともじに込められた孔明先生の想いに触れるたび、
孔明先生にお近づきになれるし、
現代の日常生活で活かすには?
という視点からの学びも得られる。
そして何よりも、孔明先生ご自身の人柄に触れられることが、
鼻血が出そうなくらい、嬉しかった。
例えば、心ない、言われのない誹謗、中傷を受けた時。
私がそれまで読んでいた啓発本やメンタル的に強い人は、
そんなものは気にしていても埒があかないとか、
覚悟が足りない証拠とか、自分を嫌う人は必ずいる、法則があるといった、
首に縄をつけてでも前を向かようとする言葉が多かったが、
孔明先生は
「不安や恐怖に押しつぶされてしまうくらい、
心が痛くなって、自分を見失いそうになってしまうかもしれない」
一度、心の痛みに寄り添った上で
「だが、だからと言って、
自分の人格を否定する無責任な言葉に、
貴重な人生の時間を費やすのは、
毒を自らあおるようなものである」
一度きりの人生を、
荒波に負けずに生きるヒントを与えてくれた。
同時に、心ない言葉で傷つくのは自分だけではない。
相手の気持ちを考えずに、
いっ時の衝動に駆られてストレスを発散するように、
言いたいこと、やりたいことをやってスッキリしても、
言われた人は、やられた人はどう思うのか?
覆水盆に返らず。
後になってからどんなに悔いても取り返しはつかない。
自分自身の言動にも注意と責任を持つようにと警告している。
孔明先生の教えの基本は、
肩書きや年収、学歴の高さに関係なく、
同じ一人の人間として、心を大事にして、
人間力を高めようとするものだった。
そんな孔明先生の生き方にますます魅了された私は>>>