志命に生きる

孔明先生の偉大さを後世に伝えることを
志命(命を尽くして貫きたい志)とする玄子(げんし)です。

今日は超絶独り言です。

目次

志は不要不急の時代?

志や、使命、目標はあったほうがいい派と
完全否定派に分かれます。

これって、どっちが正しいか?じゃなくて
志ある人は貫けばいいし、
無いなら、無いでそのほうが人生を楽しめるなら
それで、よきかな、よきかなってだけの話。

ありか、なしかの二者択一を迫られる筋合いの軽々しいモノではありません。
どちらの人生が正しいか、なんてその人によって違うので
志の有無に関係なく、互いを尊重できたらいいですよね。
生き方の正しさを求めて争うのやめませう〜!

ちなみに私は、三国志の英雄たちに「志を持て!」と言われて育ったので
志は命と人生を懸けるに値すべきものです。

なので、私が求める
孔明先生の偉大さを後世に伝える仲間も志のある人。

志命が「これ」って時に出る反応

本当にやりたいこと、志って
他人や機会が作ったチェックシートで診断して
「これ」って決めるものではありません。

じゃあ、何かといえば
時代に関係なく、心と魂が体の内側で呼応して熱くなるもの
早い話が、体、心、魂が熱く反応するもの。

普段の生活で、どうしても心の声を聞かねば!と思いがちですが
心の声ってたまに、矛盾することを言ってきたり
コロコロ変わったりと無責任だったりすることも^^;

でも、体は一つしかないので
意外と、心に届く前に体が反応することもあります。

私の場合は、身体中の血潮が沸る感じ。

細胞の果てまで興奮しているのでしょう( ̄∀ ̄)♪

そして、その志は急にお告げが!!!ではなく
実は、ずっと前から普通に
自分の中にあったものだったってことが多いです。

ただ、心が情報や環境に振り回されて気づかなかっただけ。

とか、正しいとされる考えに封鎖されていただけかも、、、。

 

世のため、人のための前に

 

あなたが伝えたいことは読者、お客様の知りたいことじゃない

市場ニーズがない

需要がない

一般的じゃないことって、「ない」の一言で却下されます。
どんなに自分にとって大事なことでも、
そんなのは誰も望んでいない、と却下されます。

無価値だと言われるたび、
自分にとって大事なことと、
自分自身の人生さえも否定された気になってしまいます。

それなのに、生きろとか・・・

確かに、世のため、人のためは大事です。
が!その前に今日頑張って生きて、明日も生きることの方がもっと大事。

そんなの当たり前、とか言うけど
他人に求められなければ
社会に認められなければ意味がない?

しかも、それまでの過去形の需要だけが全て。
それなのに、時代を見ろとか・・・
う〜む。わからない。

自分を大事にしましょうとか言うけど・・・
どうなの????

生まれ変わってからでは遅い!

いつ、どうなるか分からない人生。
生まれ変わったらやりたいことを
今、やっちゃおうよ!

ってことで、世のため人のための前に。


自分がやりたいこと、
やらずには死ねないこと

勇気を出してやった方が
無敵になれる。

世の中に迎合してしまうと
何をしても逐一、反応や言動が気になってビクビクしてしまう。

嫌われる勇気が必要なら、
本当にやりたいことにフル稼働させたい。

仕方なく、迎合して、妥協したのに嫌われるのって割りに合わない。
ここまで合わせたのに?頑張ったのに?って疲れるだけ。

伝え方が悪いと言われても、
何が何でも伝えたいことじゃないと
「じゃ、いいデスゥ」って撤退したくなる。

それよりだったら
これをやらずに、死ねない!
このために私は生まれてきた!
って細胞レベルで情熱の炎が生命力になるくらい
熱くなれる志を命をかけて貫きたい。

「私はこの道を生きますけど、何か?」
って飄々としながらも、人生を爆発させたい。

そんな風に思えた志命が

孔明先生の偉大さを後世に伝えること

何で今まで明確に言語化出来なかったのか
何でこんなにも時間がかかったのか
とも思うけど

今だからこそ、やっと言語化できて
今の私だからこそ、気づけたんだなって思ったら

これが私が生まれてきた意義だったんだなとさえ思えたので

志命を果たす日まで前向きに生きる力を手に入れました\(^^)/

そんな私の志命に理解、共感してくれる人との縁を求めて♪
今できること、楽しみながら頑張って生きます!

玄子(げんし)

私の心の声にお付き合いくださり、ありがとうございました。

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