【忠貫雲霄】死せる孔明先生、生ける逆賊走らす!?

孔明先生が生きた時代以外、中国史には疎い
諸葛孔明先生の私淑弟子・玄子(げんし)です。

先日、蜀の友人が送ってくれた五丈原の写真。

【忠貫雲霄】ってどういう意味?

【忠貫雲霄】って言葉が気になったので調べてみました。

忠貫は忠義を貫くだというのは日本語的にも理解できますがその後に続く二文字は

雲霄yun xiao:高空という意味。

なので日本語訳としては、

高空を貫く忠義の士・諸葛丞相って感じでしょうか?

さらにこの言葉を追求していくと、

孔明先生が清王朝にも生きていたことがわかったのです!?

死せる孔明先生、生ける逆賊走らす!?

清王朝はいうまでもなく、孔明先生が司馬懿を走らせたあの日以降
中国史には興味皆無。

なので、話の舞台は清王朝ですが、かなりザックリと流します。

嘉慶皇帝の時代に、仏教徒による一揆が起きました。
白蓮教徒の乱と呼ばれ、ネット上に情報が出ているので興味のある方は各自どうぞ。

この反乱軍が孔明先生の眠る定軍山の近くを通りかかったとき、
まるで官軍が伏兵しているかのような気配が!!

慌てた反乱軍は兵を引きますが、落ち着いてみにいくと誰もいない。
じゃあ、攻め続けよう!と再び兵を動かすと
定軍山にも突如、軍馬や軍旗の気配が・・・

「もしかして・・・」
反乱軍はそこが孔明先生の永眠地、武侯墓の近くであると知ります。

「諸葛丞相に怒られる〜〜〜」

皇帝は嫌いだけど、諸葛丞相は絶対です!
孔明先生の意を汲んだ反乱軍は定軍山から撤退。

この消息を聞いた帝はご満悦。
孔明先生の功績を讃えて

【忠貫雲霄】を贈ったそうです。

個人的に思うのは、孔明先生が本当に救いたかったのは、、、

今回の話では、表面上はあくまでも、
帝を、清王朝を救ったってことで【忠貫雲霄】が贈られましたが
私が個人的に思うのは、孔明先生が救いたかったのは

帝ではなく、
蜀の領民の命だったのではないでしょうか?

どんな時でも国の基本は人の和。
領民第一、の玄徳公に忠義を尽くした孔明先生。
南方で反乱を起こされた時、
相手が心服するまで七度も戦い、納得するまで向き合った孔明先生。

そんな孔明先生の生き方からこの伝説を見ると
孔明先生が救いたかったのは、蜀の領民なのではないかと思いました。

結果的に鎮圧されることは、この時既に神になっていた孔明先生には分かっていたのでは?
官軍と戦って無駄に命を捨てないよう、敢えて彼らを一人の死者も出さずに
撤退させたのではないかと思うのです。

あくまでも私個人の見解ですが、
その方が孔明先生らしい気がします。

【忠貫雲霄】も官軍ではなく、領民に対しての忠義。

というのが、孔明先生の私淑弟子である私の見解です。

一つの出来事を、色々な角度から考えてみると
新たな発見や深さに気づけるかも。

【忠貫雲霄】って四文字で、しかも清王朝の話で
ここまで白熱するとは思わなかった〜( ̄▽ ̄;)

けど、楽しかったです!
勝手に自分の出した結論に納得し、
孔明先生の偉大さを改めて噛み締めています。

お付き合い頂き、ありがとうございました!

玄子(げんし)