孔明先生に「武興王」の称号を与えたのは宿敵だった!?

諸葛丞相志向に生きる玄子(げんし)です。

武侯祠に祀られている孔明先生が「忠武侯」と呼ばれているのはご周知の通りですが、
その才徳を崇拝して「武興王」と諡したことはあまり知られていません。

今日は誰が孔明先生に「武興王」の称号を与えたのか?探ってみましょう!

時は孔明先生が天に還って100年後

「まさに天下の奇才なり!」
敵将・司馬懿が感嘆した孔明先生が五丈原から天に還ってから100年以上経った中国。

・・・孔明先生のいなくなった中国には全然興味がないので( ̄▽ ̄;)
この時代の背景や詳細を知りたい方は各自お調べください。

桓溫(312〜373年)って晋人が蜀に攻めて来た時、
偶然、大昔に孔明先生に仕えていたという100歳を超えたご老人に出会いました。

孔明先生と生きた生き証人ってだけで胸は高まります。

孔明先生はどんな人でしたか?って聞けばいいものを!
「今の時代で言ったら、誰みたいな感じ?」
不遜にも晋王朝の人間で言ったら誰?と聞きます。

「あなたのようなお方でした」とか言われたかったのでしょうか?

孔明先生ご自身と時間をともにしたご老人は、ゆっくりと言いました。

「生きているときは、とても親しみやすく、
超絶すごい偉人って思うことはなかったのですが・・・

丞相が亡くなられてから、その偉大さを噛み締めて思うのは
今の時代、諸葛丞相と比べられるような人間はいない、ということです」と。

さすが、孔明先生を識る生き証人!!
ご老人、よくぞいった!

孔明先生ほどの人、晋王朝にはいないのです!
当たり前です!現代でもいないのですから!!

孔明先生の偉大さを思い知ったか、桓溫!!( ̄∀ ̄)ドヤ!

その結果・・・

東晉桓溫追封為武興王

東晉の桓溫は孔明先生への敬意を込めて武興王の爵位を与えました

(追封:死後に爵位を与える)

三国志の英雄って、敵味方関係なく、人として尊敬、魅了したりされたりしながら
敵対関係にあっても、相手の良いところは素直に認められる人としての純粋さが
後世の人間の心にも突き刺さるのかも知れません。

一つのことだけを無理やり押し付け、正しいと言わんばかりに
他を全て非難することが多い今の時代。

国や年齢、仕官先をみて相手を判断してしまいがちな今の時代。

三国志の英雄たちに学んで人間力を深めて生きたいですね!